いたのか? だが、さういふ静物としても……」と、笑ひ、私は一寸と不興を覚えたことがあるのだが、今ではその批評もあたつてゐるといふ気がした。
「仮面《めん》ぢやないよ。」と、私は、その時抗議を申したてようとしたが後が続かなかつた。
「山あらしの肖像画か?」と、彼は、更に皮肉を云つた。
「…………」
「そんなにまで云はれたら君も憤《おこ》りたくはならないかね。」
「え?」
「山あらしの肖像画といふのはね……」
 さう云つて彼は、その言葉の出所を説明したことがあつた。
 西暦千八百十何年かの話である。ノア・ウエブスターがその郷里のハートフオードでその[#横組み]“Speller”[#横組み終わり]を出版した時のことである。この時に著者の肖像画を口絵にして掲載したのであるが、あまり印刷に凝り過ぎたゝめに反つてその肖像画は本人とは似もつかぬ異様なものになつてしまつた。頭髪は針のやうに一本一本逆立つてゐた。そして眼は、ぎよろりとして頭髪と同様な太い線で露はにむき出してゐた。で、この口絵は恰も山あらしの肖像画を掲げたかのやうな怪貌になつた。だが著者は、この印刷を認め、自信を持つて堂々とその下に[#横組み]“Noah Webster”[#横組み終わり]と署して発行した。――ところが常々著者の行動に反感を抱いてゐた村の連中は、この一個所を楯にとつてあらゆる方法で彼を攻撃し嘲笑した。或る者は著者に手紙を送り、宛名をわざと[#横組み]“Mr. Grammatical Institute”[#横組み終わり]と誌した。また[#横組み]“Mr. Squire, Jun.”[#横組み終わり]と呼びかけるやうに書き送つた者もあつた。そして念入りにも遺言状のかたちをとつて――私は、[#横組み]“Speller”[#横組み終わり]の著者某に西班牙貸若干枚を与へる、これはその著書に掲載の肖像画を改版すべき費用のためである、既著の如く著者[#「著者」に傍点]の醜怪なる肖像を巻頭に掲げるは、その読本に依つて勉学する児童の心を威嚇するものである、終ひには多くの児童の純心を傷け荒ましめ、やがては共和国の前途に憂ひを抱かしむるに至るであらう、速かに著者[#横組み]“Squire”[#横組み終わり]を読本の巻頭より追放すべし……等。初めは笑つて済ましてゐたが彼等の執拗さがあまり凄まじいので終ひに著者[#「著者」に傍
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