それもそのまゝ隣村へ移転させやうといふ議もあつたが、意外に嵩む移転費の捻出に事欠いて、当分沙汰止みとなつてゐたところであつた。また桐渡等は、この仁王の作者が或る名工の腕に成つたものであるといふ鑑定をつけて、埠頭場の美術商に売却して、村境ひの本橋をコンクリートに架け代へようといふ議が起つてゐたけれど、桐渡の加名を知つて不信任を叫ぶ一党が現はれ、これも当分見合せとなつてゐた。桐渡派弾劾の連判書には、私もあざやかな母印を捺してゐる在野のデモクラツトである。
 それは左うとして、雪太郎の叔母が仁王門の裏で代々の休み茶屋を営んでゐる。社は空屋となつたが、国境の山を越へて遠く商ひに行く車馬の一隊は昔のまゝにこの休み茶屋で息を容れる慣ひであつたから、経営の困難もなかつたし、その上、桐渡派とその弾劾派の争ひが世間の注目を惹いて、仁王門に関する様々な迷信的の流言蜚語が飛び、見物人が日に日に絶ゆる事もない繁昌振りを示してゐた。もう一息、この噂が人気を呼ぶやうになつたら、雪太郎達は米運びの合ひ間に案内船を支立てようかといふ話まで持ち上つてゐた。いつぞや、その相談役に招かれて、私が仁王門の茶屋を訪れた事があつた。相談は何うなつたか、議長格の私が今は忘れてしまつてゐるが、何でも私はその晩わけもなく大ざつぱな太平楽を並べて、ぐでん/\に酔つ払つて帰途を失つてしまつた。
「ぢやお雪や、先生はお二階へ御案内申すかね。」
 手伝ひに来てゐる兄弟の妹に、お婆さんが左う云ふと、お雪が、夜中に目を醒しにでもなつて、先生が驚きはしなからうかと逡巡した記憶が私にあつた。店と、炉のある部屋がつゞいてゐるだけの家なのに、二階とは不思議だな――と思ひながら、お雪に従いて真つ黒なカーテンをくゞると、段々を二つ三つ上つたかと思ふと、真四角な箱のやうな部屋に達した。翌朝、私が目を醒して見ると、その部屋の三方には祝入営竜巻雪太郎君と筆太に認められた幟の幕に囲まれてゐた。それにしても、朱塗の逞しい柱や格子がうかゞはれると思つて、首を上げて見ると、一方の幟の向側に大岩のやうな仁王の背中が接し、天井と幟の合ひ間から大腕を揮つて虚空をきつてゐる仁王の肩から上が奇峭となつて眺められた。つまり、私の寝室は仁王堂の中の恰度門番が住むやうな二段となつた「楽屋」見たいな二階であつた。同じ広さの階下は、お雪の寝室で、二階は客用に使はれてゐると
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