てゐたんだが、そいつがそのまゝ天狗の声と響いてゐた。はつはつは……麗らかな天気ぢやな!」
 私は、吊床に腰をかけて二つ三つ大きく揺り動かせながら、それと同じやうに大きくわらつて、ばさりと兄弟の前に飛び降りた。そして、ひようきんさうに鼻高のシラノのやうな見得を切つて、胸をひろげた。
「そいつは、どうも――」
 兄弟は同時に肩をゆすつた。
「折角の素晴しい夢をお騒がせ申して、何とも、いやはや申しわけがありませんでしたな、あつはつは……」
「一処に登らうよ。斯んなところで弁当を喰ふのも張り合ひがないと云ふものだ。」
 云ひながら私は、二人の間を割つて夫々の肩に翼のやうに腕をかけて歩き出しながら、脚もとの田舟を指差した。
「矢の倉まで行かう、風琴は持ち合さなかつたが、舟歌は一手に引きうけたぞ、ヘツヴ・ハウ、ヘツヴ・ハウ My heartful......sky wearing my solitary heart upon thy sleeve ……どんなもんだい。待つてゐたんだよ、彼処までたどり着けば、もう君達は今日は用事はないんだらう。ともかく僕は愉快なんだ。斯う天気が好いと、僕は、今、この場で息を引きとつても、さらさら心残りは覚えぬといふ位ひ、事ほど左様に僕はこの天気が愉快なんだよ。」
 そんなに愉快なのなら、昼寝なんかしてゐないでも好さゝうなものなのに――と聴く者の耳を疑はしめたほど、急に私は浮々として、おしやべりを続けながら猶予なく舟のなかへ飛び込むと、段々になつて積みあげてある米俵の頂上に馬乗りとなり、額に手を翳して、四方の景色を見渡しながら、
「もう春だな……」
 などゝ唸つた。
 その河畔の丘の上に私の部屋の窓がのぞいてゐたので、私達は何時もその窓枠に並んで手風琴を弾きながら、下を通ふ田舟と呼応した。
 ――だが私の妻君が、ひとまづ先へ都へ登つてしまつてからは、手風琴の蛇腹に風穴でもがあいたかのやうに、私は力が抜けて、そゞろに白々しく瑟々たる風に襲はれてゐた。
 だから、私は稍ともすれば河畔に降りて、友達が通りかゝるのを待ち伏せてゐるのであつた。中には私のさしまねく姿を見ると、艫おしの腕を急に速めて、せつせつと行き過ぎてしまふ舟もあつた。無理もないのだ。何故なら、うつかり私の甘言にさそはれて錨を降さうものなら、大事な弁当を分捕られてしまふおそれがあつたから――
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