国へ行かなければならないことになつて、いざ出立といふ場面を考へると、恰でギリシヤ劇にでもありさうな悲壮な情景が浮んで来るのだよ。」
いひかけて青木は、深く呼吸を呑んだ。
……汽車の窓から雪子が半身を乗り出してゐる、汽車路に添つた街道を裸身のドリアンが駆けてゐる、汽車の速度に伴れてドリアンの速力も次第に速くなる……車輪の響と蹄の音と……。
「ドリアンは倒れるまで駆け続けるだらう……ドリアンが昏倒する様を妹は窓から認めるであらう……その時お前は、次の停車場で汽車を降りるか? と俺は、その話になると雪子に訊ねるのだ。無論降りる――と雪子は答へる――それで吾々の一身上に就いての相談は何も彼も頓挫してしまふのが常例なんだよ。想像でなくつてそれと同じ事件が、つい一ト月前にも起つた。昏倒したドリアンは雪子に介抱されると忽ち蘇生してしまつた……雪子はとう/\恋愛も犠牲にして、以来ドリアンと暮してゐる。」
「恋愛事件があつたの?」
「犠牲に出来るほどのものなんだから、プラトニツクなんだけれど……」
「恋人に会ひに行くために出立したんだね。」
「うむ、ところがドリアンが何うしても離れないんだ。逃げるやうにして出かけても雪子も雪子で、夜になると帰らずには居られない――何とも因果なことだよ。」
「恋人の名前は?」
三木はせき込んで青木の眼を瞶めた。
「…………」
「その幸福な男といふのは?」
「幸福と思ふか、君は?」
青木は熱い手で三木の手を執つて悲しさうに唸つた。「幸福と思へるんなら、馬位ゐのことであきらめてしまはれる位ゐに淡いプラトニツクの相手の名前を、君が、君自身と想像することは自由だよ。」
十二
「俺達が自分達の話ばかりしてゐるので、雪さんは機嫌でも損じて何処かへ出かけてしまつたのだらうか、朝から見えないが――」
「いや、あいつは親爺が死んだ時でも天気さへ好ければドリアンを乗り廻して来ずには居られないといふほどの奴なんだよ。加《おま》けに競馬が近づいたので此頃ぢや晩まで競馬場で暮してゐる。」
「自分が騎手にでもなつて出るの――」
「競馬にはドリアンなんて出すわけではないが、練習の間だけは――。この山を越すと競馬場だから行つて見ようか。」
「よし、俺も馬を借りて、雪さんと競走でもして見よう。」
「それこそ、到底敵ふ筈はない。――騎手の連中でさへ彼奴には恐れてゐる
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