じゆんしてゐた。漁屋の納屋であつた。麦畑の岡の裾を崖ふちに添つて、三つも迂回して、岬の中腹まで辿らなければならぬ道程だつた。
「Ossian!」
 と叫んで、彼女は靴の先で扉を力一杯に蹴つた。私は、ぎよつとして椅子から跳びあがつた。私は、書物やら、ネクタイやら、ジヤケツやら――枚挙のいとまはありはしない、何とまあ埃を浴びた数々のがらくたが無暗と散乱してゐる暗くて狭い部屋であることよ!
「憤らないで待つてお呉れよ――今、窓を開けて、直ぐに油の鑵を見つけ出すから、そして独りで行つて来るよ。水車小屋の牡馬《ドリアン》は、もう厩に入つたか何うか、ほんとうに済まないが見て来てお呉れよ。」
 私は、サアベルを踏んで飛びあがつたり、真鍮のラツパに躓いてよろめいたりしながら、陰気な窓掛を払ひ除けた。そして、射し込んだ月の光で、寝台の下に転げ込んでゐる油壺を四つん這ひになつて辛うじて探し出した。
 街道に降りて見ると、米俵や枯草を積むための二輪車をつけたドリアンの首に凭りかゝつて女房は口笛を吹いてゐる。
「どうせ、もう一度ドリアンは空車で納屋まで行くところだつたの――御者は悦んでお湯へ行つたよ。」
 崖下の共同浴場の窓から――草は萌えたち、鳥は歌ひ、蝶は舞ふ、何と長閑な春となつたといふに、何うして俺は斯んなにも物憂気なのだらうか、働いても/\楽にならない貧乏の扇が煽りを止めぬためだらうか、などゝいふ風なくだらぬ意味の歌が、然し、それが歌手自身の真心からの溜息であるかのやうに悠やかな韻律で響き、歌の絶《き》れ目となると、ワツハツハ……といふ笑ひ声が、恰度、合唱のやうに一勢に挙つた。浴場の煙突は、青い夜空に鉛筆のやうにくつきりと伸びて、その合唱をかたどるかのやうな嘲笑的な面もちで煙りを吐いてゐた。
「納屋へ行くよりも一層停車場迄行つて見ようか。」
 女房は、月のあかりで時間の見当を定めた後に、
「未だ終列車は着いてゐない筈だわ。」
 と云つた。
 九郎が、私の「Ossian」と題する作品を携へて東京へ出発してから、もう五日も経つてゐるのだ。日帰りで、九郎は帰らなければならない筈だつた。七郎と八郎が(私も共々)大いに九郎を罵つた後に、村役場の電話を借りて、雑誌社に訊ねて見ると、頤の長い眼のぎよろりとした「九郎」に五日前に金は渡したといふことだつた。
 七郎と八郎が、改札口の両端で太い腕を組
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