気に当てられて貧血症に襲われるところからかかる迷信的な挿話が伝っているのだろうが、実際私達にしろこの坂に達した時分になると余程《よほど》自分ではしっかりしているつもりでも神経が苛々《いらいら》として来て、藪蔭《やぶかげ》で小鳥が羽ばたいても思わず慄然として首を縮め、今時狐などに化されて堪《たま》るものかと力みながらも、一般の風習に従って慌てて眉毛を唾で濡《ぬら》さぬ者はなかった。
ここもかしこも私は今日はゼーロンの駿足に頼って一気に乗り超える覚悟で、兼《かね》て決心の手綱を引き締めて出発して来たのだが、こうそれからそれへ、とぼとぼと擂鉢のふちをたどりながら行手の難路に想《おも》いを及ぼすと夥しい危惧の念に打たれずには居られなかった。折も折、夜来の雨が今朝晴れて、あたりの風景は水々しいきらびやかさに満ち溢れ、さんらんたる陽《ひかり》は実《げ》にも豪華な翼を空一杯に伸べ拡げてうらうらとまどろんでいるが、それに引きかえ、不断《ただ》でさえ日の眼に当ることなしに不断にじめじめと陰険な渋面をつくって猜疑《さいぎ》の眼ばかりを据えているあの憎たらしい坂道は、どんなにか滑り易い面上に、意地悪な苦笑を湛《たた》えながら手ぐすね引いて気の毒な旅人を待ち構えていることだろう!――私は、この坂道と戦うための用意に自分のとゼーロンのと、一束にした草鞋《わらじ》と一歩一歩踏み昇る場合の足場を掘るためのスコップとを鞍の一端に結びつけて来たのであるが、今、それが私の眼の先で、ゼーロンの跛の脚どりにつれてぶらんぶらんと揺れているのを眺めると胸は鉛のようなもので一杯になってしまった。
私はギヤマン模様のように澄明な猪鼻村のパノラマを遠く脚下に横眼で見降しながら努めて呑気そうに馬追唄を歌って行った。村の家々から立ち昇る煙が、おしめども春のかぎりの今日の日の夕暮にさえなりにけるかな――と云いたげな古歌《うた》の風情《ふぜい》で陽炎《かげろう》と見境いもつかず棚引き渡っていた。夕暮までには未だ余程の間がある。こんなところで夕暮になったら大事だ――だが私は、霞《かす》むともなくうらうらと晴れ渡った長閑《のどか》な村の景色を眺めると思わず陶然として、声高らかにさような歌を節も緩やかに朗詠した。そして更に眼を凝らして眺めると村道を歩いて行く人達の、おおあれはどこの誰だ――ということまでがはっきりと解った。枯
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