まりもなく腕力家の清親にねぢ伏せられてしまつたぢやアないか――彼は、思はず自分の額をピシヤリと平手で叩いた。そして、痩ツぽちの癖に、袴を腹の下に絞め、襟をはだけて、奇妙に太い作り声を挙げて豪放を構えてゐた自分が、清親の腕につかまれると、藁人形のやうに軽々と撮み出されてしまつた光景を回想して、彼は、陰鬱に顔を歪めて、深く蒲団の中へもぐつてしまつた。――彼は、堪らない溜息を吐いた。
 そんな幻は払ひ落さうとして、彼は、首を振つたり、肚に力を込めたりして躍気になつたが、相手の横意地の方が強かつた。……彼は、映画に写つた己れの姿を、否応なく見せられなければならなかつた。
「礼儀を弁へぬにも程がある。」と、母の乾いた唇が細かく震へながら呟いだ。
「青二才の酔ツ払ひなんぞは……」と、それでもいくらか息を切らせた清親が、静かに盃を取りあげて、笑つた。「チヨツ! それにしても意久地のない男だな。」
「もつと酷い目に合せてやれば、よかつたんです、小面の憎い。」と母も苦笑した。
 ――彼も、今、もぐつた寝床の中で苦笑を洩した。と、彼の冷汗は、暗闇の中で奇妙に溶けて行つた。
「まつたく好い気味だつた。誰だつて、あの光景を眺めてゐた者は思はず溜飲をさげたに違ひない。」
 彼は、自分の惨めな姿を、セヽラ笑つてまつたく溜飲のさがる気がした。張り切つたゴム風船を、一気に踏み潰して、ポンとあつけない[#「あつけない」に傍点]音を耳にした時のやうな、洞ろな晴々しさを感じた。反つて、冷汗に閉され、筒抜けた因循に沈んで行く身心に、不意と溌剌たる光りを感じた。
「……ところで、まア当分小田原行きは控へて置いた方がよさゝうだ。」
 蒲団から首を出して彼は、力なく煙草を喫した。――あの時、周子も傍観者の一人だつた。いくら味方だつたにしろ、水中に投げ込まれた蝉のやうに次第に鳴りを秘めてしまつた俺の姿を眺めたら、一瞬間は道徳的理性を離れて、わけもない小気味好さを感じたに相違あるまい、当人の自分でさへ斯んな気がするんだから……いや、一瞬間どころではあるまい、口にこそ出さないが、彼女の東京に来て以来の図々しい態度から察しても、彼奴は無反省な馬鹿な女だから、あんな[#「あんな」に傍点]ところから知らず識らずこの俺を軽蔑する程度が強まつたのかも知れない――。
 彼は、そんなことを思つて苦い顔をした。母達に対しての自分の惨
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