chen. *3とからかわれた。
 当時の哲学科の学生には、私共の上のクラスには、両松本や米山保三郎などいう秀才がおり、二年後のクラスには桑木巌翼君をはじめ姉崎、高山などいわゆる二十九年の天才組がいた。有名な夏目漱石君は一年上の英文学にいたが、フローレンツの時間で一緒に『ヘルマン・ウント・ドロテーア』を読んでいたように覚えている。私共のクラスでは、大島義脩君が首席であった。しかしそれでも後に独特の存在となられたのは、近年亡くなられた岩本禎君であったと思う。同君は上にいったように、その頃からギリシャ語を始められ、いつも閲覧室で字引を引いて、少しずつソクラテス以前の哲学者のものを読んでおられたようであった。あの人は何処かケーベルさんと似た所があった。私は岩元君とは明治二十七年卒業以来、逢う機会がなかった。私の頭には、痩せた屈《かが》み腰の学生服を着た岩元君をしか想像することはできない。私は始終鎌倉に来るようになってから、一度同君を尋ねて見たいと思っていた。しかし今度こそはと思いながら、無精な私はいつも奮発できなかった。その中《うち》、同君の逝去せられたのを聞いて残念に堪えない。新聞によれば、何千人かの会葬者があったらしい。同君は何処かにえらい所があったのだと思う。
 右のような訳で、高校時代には、活溌な愉快な思出の多いのに反し、大学時代には先生にも親しまれず、友人というものもできなかった。黙々として日々図書室に入り、独りで書を読み、独りで考えていた。大学では多くのものを学んだが、本当に自分が教えられたとか、動かされたとかいう講義はなかった。その頃は大学卒業の学士に就職難というものはなかったが、選科といえば、あまり顧みられなかったので、学校を出るや否や故郷に帰った。そして十年余も帝都の土を踏まなかった。

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*1「世代から世代へ、いく世代も。」
*2「少くともラテン語は読まなければいけない。」
*3「哲学者は煙草を吸わざるべからず。」
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底本:「日本の名随筆 別巻95 明治」作品社
   1999(平成11)年1月25日第1刷発行
底本の親本:「西田幾多郎随筆集」岩波文庫、岩波書店
   1996(平成8)年10月
※「*1」の形の注釈は、底本では、直前の文字の右横にルビのように付いています。
入力:ふろっぎぃ
校正:しだひろし
2006年2月16日作成
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