うように、我々の意識は始終能動的であって、衝動を以て始まり意志を以て終るのである。それで我々に最も直接なる意識現象はいかに簡単であっても意志の形を成している。即ち意志が純粋経験の事実であるといわねばならぬ。
[#ここから1字下げ]
従来の心理学は主として主知説であったが、近来は漸々主意説が勢力を占めるようになった。ヴントの如きはその巨擘《きょはく》である。意識はいかに単純であっても必ず構成的である。内容の対照というのは意識成立の一要件である。もし真に単純なる意識があったならば、そは直《ただち》に無意識となるのである。
[#ここで字下げ終わり]
純粋経験においては未だ知情意の分離なく、唯一の活動であるように、また未だ主観客観の対立もない。主観客観の対立は我々の思惟の要求より出でくるので、直接経験の事実ではない。直接経験の上においてはただ独立自全の一事実あるのみである、見る主観もなければ見らるる客観もない。恰も我々が美妙なる音楽に心を奪われ、物我相忘れ、天地ただ嚠喨《りゅうりょう》たる一楽声のみなるが如く、この刹那いわゆる真実在が現前している。これを空気の振動であるとか、自分がこれを聴いているとかいう考は、我々がこの実在の真景を離れて反省し思惟するに由って起ってくるので、この時我々は已に真実在を離れているのである。
[#ここから1字下げ]
普通には主観客観を別々に独立しうる実在であるかのように思い、この二者の作用に由りて意識現象を生ずるように考えている。従って精神と物体との両実在があると考えているが、これは凡て誤である。主観客観とは一の事実を考察する見方の相違である、精神物体の区別もこの見方より生ずるのであって、事実|其者《そのもの》の区別でない。事実上の花は決して理学者のいうような純物体的の花ではない、色や形や香をそなえた美にして愛すべき花である。ハイネが静夜の星を仰いで蒼空における金の鋲《びょう》といったが、天文学者はこれを詩人の囈語《げいご》として一笑に附するのであろうが、星の真相はかえってこの一句の中に現われているかも知れない。
[#ここで字下げ終わり]
かくの如く主客の未だ分れざる独立自全の真実在は知情意を一にしたものである。真実在は普通に考えられているような冷静なる知識の対象ではない。我々の情意より成り立った者である。即ち単に存在ではなくして意味をもった者である。それでもしこの現実界から我々の情意を除き去ったならば、もはや具体的の事実ではなく、単に抽象的概念となる。物理学者のいう如き世界は、幅なき線、厚さなき平面と同じく、実際に存在するものではない。この点より見て、学者よりも芸術家の方が実在の真相に達している。我々の見る者聞く者の中に皆我々の個性を含んでいる。同一の意識といっても決して真に同一でない。たとえば同一の牛を見るにしても、農夫、動物学者、美術家に由りて各その心象が異なっておらねばならぬ。同一の景色でも自分の心持に由って鮮明に美しく見ゆることもあれば、陰鬱にして悲しく見ゆることもある。仏教などにて自分の心持次第にてこの世界が天堂ともなり地獄ともなるというが如く、つまり我々の世は我々の情意を本として組み立てられたものである。いかに純知識の対象なる客観的世界であるといっても、この関係を免れることはできぬ。
[#ここから1字下げ]
科学的に見た世界が最も客観的であって、この中には少しも我々の情意の要素を含んでおらぬように考えている。しかし学問といっても元は我々生存競争上実地の要求より起った者である、決して全然情意の要求を離れた見方ではない。特にエルザレムなどのいうように、科学的見方の根本義である外界に種々の作用をなす力があるという考は、自分の意志より類推したものであると見做《みな》さねばならぬ(Jerusalem, Einleitung in die Philosophie, 6. Aufl. §27)。それ故に太古の万象を説明するのは凡て擬人的であった、今日の科学的説明はこれより発達したものである。
[#ここで字下げ終わり]
我々は主観客観の区別を根本的であると考える処から、知識の中にのみ客観的要素を含み、情意は全く我々の個人的主観的出来事であると考えている。この考は已にその根本的の仮定において誤っている。しかし仮に主客相互の作用に由って現象が生ずるものとしても、色形などいう如き知識の内容も、主観的と見れば主観的である、個人的と見れば個人的である。これに反し情意ということも、外界にかくの如き情意を起す性質があるとすれば客観的根拠をもってくる、情意が全く個人的であるというのは誤である。我々の情意は互に相通じ相感ずることができる。即ち超個人的要素を含んでいるのである。
[#ここから1字下げ]
我々が個人な
前へ
次へ
全65ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
西田 幾多郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング