う語が宗教の極意である。而してこの絶対無限の仏もしくは神を知るのはただこれを愛するに因りて能くするのである、これを愛するが即ちこれを知るである。印度《インド》のヴェーダ教や新プラトー学派や仏教の聖道門《しょうどうもん》はこれを知るといい、基督教や浄土宗はこれを愛すといいまたはこれに依るという。各自その特色はないではないがその本質においては同一である。神は分析や推論に由りて知り得べき者でない。実在の本質が人格的の者であるとすれば、神は最人格的なる者である。我々が神を知るのはただ愛または信の直覚に由りて知り得るのである。故に我は神を知らず我ただ神を愛すまたはこれを信ずという者は、最も能く神を知りおる者である。



底本:「善の研究」岩波文庫、岩波書店
   1950(昭和25)年 1月10日第1刷発行
   1979(昭和54)年10月16日第48刷改版発行
   1999(平成11)年10月25日第86刷発行
底本の親本:「善の研究」岩波書店
   1937(昭和12)年改版
入力:nns
校正:かとうかおり
2000年7月27日公開
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