とから働く。作られたものが作るものを作る、作られたものから作るものへである。故に人間はポイエシス的である、歴史的身体的ということができるのである。而して表出即表現の立場から働くとして、それは論理的ということもできるであろう。
 右にいった如く、個物は何処までも個物として創造的であり、世界を形成すると共に、自己自身を形成する創造的世界の創造的要素として、個物が個物である。矛盾的自己同一として作られたものから作るものへという世界は、形から形へと考えられる世界でなければならない。始に現在が現在自身を限定するといった如く、形が形自身を限定すると考えられる世界でなければならない。多と一との絶対矛盾的自己同一の世界は、かかる立場からは何処までも自己自身を形成する、形成作用的でなければならない。かかる意味において自己自身を形成する形が、歴史的種というものであり、それが歴史的世界において主体的役目を演ずるものであるのである。私の形といっているのは、実在から遊離した、唯抽象的に考えられる、静止的な形をいうのではない。形から形へといっても、唯無媒介的に移り行くというのではない。多と一との矛盾的自己同一として、実在の有つ形をいうのである。生物現象というも、何処までも化学的物理的現象に還元して考えることができるであろう。しかしその故に生物現象を単に物質の偶然的結合というのならばとにかく、いやしくもそれ自身に実在性を認めるならば、それは形成作用的と考えられねばならない。生物の有つ形というのは、機能的でなければならない。形と機能とは、生物において不可分離的である。形というのは、唯、眼にて見る形の如きものをいっているのではない。生物の本能という如きものも、形成作用である。文化的社会という如きも、形を有ったものでなければならない。形とはパラデーグマである。我々は種の形によって働くのである。而《しか》してそれは行為的直観的に見ることによって働き、働くことによって見るということでなければならない。作られたものから作るものへということでなければならない。
 右の如く作られたものから作るものへと無限に動き行く絶対矛盾的自己同一の世界は、形から形へとして何処までも形成作用的である、即ち主体的である。これに無限なる環境が対立する。而して主体が環境を、環境が主体を形成すると考えられる。しかし絶対矛盾的自己同一の
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