実に於て、即ち今日の時局に於て、唯一なる自己の道徳的使命と責務とを有するのである。
民族と云うものも、右の如く世界的世界形成的として道徳の根源となる様に、家族と云うものも、同じ原理によって道徳の根源となるのである。単なる家族主義が、すぐ道徳的であるのではない。世界的世界形成主義には家族主義も含まれて居るのである。之と共に逆に、共栄圏と云う如きものに於ては、嚮に云った如く、指導民族と云うものが選出せられるのではなく、世界的世界形成の原理によって生れ出るものでなければならない。ここに世界的世界形成主義と国際連盟主義との根本的相違があるのである。
神皇正統記が大日本者神国なり、異朝には其たぐいなしという我国の国体には、絶対の歴史的世界性が含まれて居るのである。我皇室が万世一系として永遠の過去から永遠の未来へと云うことは、単に直線的と云うことではなく、永遠の今として、何処までも我々の始であり終であると云うことでなければならない。天地の始は今日を始とするという理も、そこから出て来るのである。慈遍は神代在今、莫謂往昔とも云う(旧事本紀玄義)。日本精神の真髄は、何処までも超越的なるものが内在的
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