て邪魔物が来たと云う様な当惑の様子も見えたが給仕は更に構いなく「ハイお紺婆を殺した養女お夏というは牢の中で死にましたが、同じ年頃の古山お酉と云う中働きが矢張り時計の捲き方を知って居た相です」お浦は耳寄りの事を聞き得たりと云う様子に熱心になり「その古山お酉とは美しい女で有ったの」給仕「ハイ之は最う非常な美人で、イヤ私が此の家へ雇われぬ先の事ゆえ自分で見た訳ではありませんが人の話に拠ると背もすらりとして宛《まる》で令嬢の様で有ったので、村の若衆からも大騒ぎをせられ、其の中に一人情人が出来たそうです、爾してお紺の殺される一ケ月ほど前に色男と共に駈落し、行方知れずに成って居たが、お紺の殺された後故郷|※州[#「※」は「あなかんむり+乙」、28−上21]《ウェールス》に居る事が分り其の色男と共に裁判所に引き出されてお調べを受けましたが、遠い※州[#「※」は「あなかんむり+乙」、28−上22]に居て此の土地の人殺しは関係の出来る筈もなく、唯証人として調べられたのみで直ちに放免せられました、何でも其の後色男と共に外国へ移ったと云う事です。今頃は米国か濠洲《おうすとらりや》にでも居るのでしょう」お浦「随分其の女は貴婦人の真似でも出来る様な質だったの」給仕「ハイ不断貴夫人の様に着飾ると、田舎者などに感心せられるのを大層嬉しがって居たと云う事です」お浦「今居れば幾齢ぐらいだろう」給仕「お紺婆の殺された時、十九か二十歳だったと云いますから今は二十五六でしょうが、併し美人に年齢無しとか云いますから矢張り若く見えて居る事でしょう」
お浦は是だけで満足したか、問うのを止めて余の傍へ来て、最と勝ち誇った様子で「今の話を何と聞きました」余「何とも聞きませんよ」お浦「道さん、貴方の尊《うやま》う貴婦人は立派な素性です事ねエ。中働きの癖に情夫を拵えて出奔して、爾して古山お酉と云う本名を隠し松谷秀子などと勿体らしい名を附けてサ」余「エ、貴女は怪美――イヤ松谷嬢を其のお酉とやらだとお思いですか」お浦「私が思うのでは有りません、今は其のお酉より外に時計の捲き方を知った者もないと云うでは有りませんか、爾して松谷令嬢、オホホ大変な令嬢です事、其の令嬢も昨夜叔父さんに問い詰められ、以前に幾度も幽霊塔へ上ったと白状したでは有りませんか、同じ人でなくて何ですか」若し此の疑いの通りとせば真に興の醒めた話で有る、成る程アノ義母殺しの輪田夏子の墓へ参詣した所を見ると或いは此の疑いが当るかも知れぬ、仲働きを勤めて居て主人の養女夏子とは懇意で有った為、昔の事を思い出して参詣したのか、斯う思えば一言も無いけれど、余は何故かアノ怪美人を仲働きなどの末とは思わぬ、何となく別人の様な気がする、全体余は至って直覚の明らかな生まれ附きで、今まで斯うだろうと感じた事は余り間違った例がない、此の松谷秀子を古山お酉とやら云う仲働きと別人だと思う感じも、決して間違う筈がない、と自分だけは斯う思う。
併し別に争い様もないから、無言の儘で、何とかお浦の疑いを挫く工夫は有るまいかと、悔しがって居ると、丁度叔父朝夫が這入って来た、叔父は甚く落胆の様子で「ア、今朝篤と松谷秀子嬢に逢い、昨夜の詫びも云い更《あらた》めて時計の秘密を聞き度いと思い其の室を尋ねたら、虎井夫人と共に早朝に此の宿を立った相だ、爾して行く先も分らぬ」お浦は益々勝ち誇って「爾でしょうよ、昔の素性を知った人が多勢居る土地に、そう長居は出来ぬ筈です」と独語の様に云い、更に余に向って「道さん、夜逃げよりも朝逃げの方が、貴方のお目には貴婦人らしく見えましょうネエ」何方まで余を遣り込める積りだろう、併し余は相手にせず、食事の終るまで無言で有ったが、頓て叔父は余に向い「来た序でだから是より幽霊塔の中を見て来よう」と云い、共々に出かける事とは成ったが、本統に幽霊塔を昼の中に検査するのは是が初めてだ、検査の上で何の様な事を発見するかは烱眼な読者にも想像が届くまい。
第九回 丸部家の咒文
愈々幽霊塔の検査に行く事と為って、余は一番先に此の宿の店先まで出掛けた、叔父とお浦は未だ出て来ぬ、多分は叔父がお浦に向い、昨夜の小言を云って居るので有ろう、余の居る所で小言を云うのを余り気の毒だと思い、故と余を先へ出したらしい。
余は待ちながら帳場に在る客帳を開いて見た、見ると松谷秀子と虎井夫人との名が余の直ぐ前へ記《つ》いて居る、即ち二人は余等より一日先に此の宿へ来た者だ、此の宿ではタッた二晩しか泊らなんだのだ、余は若しや此の客帳の字と昨夜の贋電報の字と同じ事では有るまいかと思い、能く能く鑑定して見たが全く違って居る、客帳のは余ほど綺麗な筆蹟で珍しい達筆と云っても好い、多分怪美人が自分で書いたので有ろう、仲々電報の頼信紙に在った様な悪筆では無い、余は猶帳場の者に少し鼻
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