も嘘を云って居る様な色は見えぬ、何所迄も事実を守って居る人の様に、其の心底に最も強い所が見える。
頓て先生は思い定めた調子で「イヤ是まで口外した以上は、最早秘密が破れた者です、詳しく説き明かして、秀子夏子の同一人という次第を、貴方へ能く呑み込せる外はないのです、先ず今通って来た金庫室までお帰りなさい、話は彼処で致しましょう」と云って二個の顔形を箱のまま重ねて持ち、余には振り向きもせずに、サッサと元来た方へ遣って行く、余は随いて行かぬ訳には行かぬ、足も地に附かぬ様で、フラフラと随いて行くと、先生は愈々金庫室へ入り、電燈を再び点《とも》して「先ず此の明るい所で熟く二個の顔形をお見較べなさい、爾すれば、私の説明が幾分か分りましょう」と云って、隅の方から卓子を持ち出して来た、其の上へ顔形と顔形とを静かに置いた、是から詳しく説き明かす積りと見える。
第七十七回 同中の異
卓子の上に置いた二個の顔形を、余は電気の光に依りつくづくと見較べた、夏子の顔と秀子の顔、何《いず》れを優る美しさと云って善かろう、夏子は秀子より肥って居る、丸形である、秀子は楕円である、丸形の方には顎に笑靨《えくぼ》がある、顎の笑靨は頬の笑靨より尚《とうと》いと或る詩人が云ってあるけれど、秀子の頬の笑靨は決して夏子の顎の笑靨に見劣りはせぬ、夏子は若く水々して愛らしく、秀子は洗って研ぎ出した様に垢|脱《ぬ》けがして美しい、生際は夏子の方が優って居るが口許は確かに秀子に及ばぬ、勿論両人全く別人の人である、けれど能く見て居れば似寄った所が有る、初見には全くの別人で見るに従い似寄った所が多くなり或いは姉妹でも有ろうかと思われる程にも見える。
先生は秀子の顔形の箱から又髪の毛を取り出して卓子の上に並べ「御覧なさい。双方の髪の毛が此の通り違って居ます、夏子のは緑が勝って色が重く、秀子のは黄が勝って色が軽いけれど、其の艶は一つです、毛筋の大小も優《しなや》かさも、少しも異った所はなく、若し目を閉じて撫でて見れば誰でも同じ髪毛としか思いません」
と云いつつ自ら目を閉じて双方の髪毛を撫で較べて居る、余は胸に何とも譬え様のない感が迫って来て殆ど涙の出る様な気持になった。「けれど先生」とて争い掛けたけれど後の言葉は咽喉より出ぬ。
先生は静かに腰を卸し「詳しく言いますから先ずお聞き成さい、全体私は脳の働きが推理的に発達して居ると見え、許多《あまた》の事柄の中で似寄った点を見出し、此の事は彼の事の結果だとか、これはかれの変態だとか云う事を見破るのが極めて早いのです、夫ですから自然犯罪の記事などを読み自分一身の見解を作るが好きで、今まで余り外れた事がないのです、此の夏子の老婆殺し事件なども初めから英国の新聞紙で読み自分一個の考えを定め、絶えず後の成行如何と気に掛けて居ましたが、其のうちに夏子牢死の報が伝わり又間もなく、私の許へその夏子が救いを求めに来る事になりました」
是まで云いて思想の順序を附けるためか、又目を閉じて暫く考え「先刻も申しました通り、私の仕事は全く依頼者と利害を一にする様な性質で、私は依頼者から何も彼も打ち明けて貰った上でなければ仕事を始めませぬゆえ、此の件に就いて当人と、当人を連れて来た弁護士権田時介氏に充分今までの成り来たりを聞きました、両人ともには多少隠す所が有りましたけれど、大抵の事は既に私が見貫いて居て、急所急所を質問するのですから、果ては洩れなく話しました、其の話や其の後私の仕た事を陳《の》べれば、幾等貴方が疑い深くとも疑う事は出来ません、成るほど夏子と秀子とは同人だと信じます」
此の様に順序を立てて言い来たられては、或いは信ぜぬ訳に行かぬ事となるかも知れぬ、と余も此の様に思い始めた、先生は余が心の斯く聊か動かんとするを見て取った様子で「先ず私の仕事から話しましょう、私は篤《とく》と夏子の顔を見ましたが、如何にも美人で、作り直す事が勿体ない、見る影もない醜婦にする事は容易ですが、それでは造化の美術を傷つける様な者で天に対して恐れが多い、何うか天然の美術を傷つけぬ様に、爾して全く別人と見える様に生れ替らせ度いと色々苦心を仕ましたが此の苦心の為に却って私の手際が不断ほど現われなんだのです、通例の顔ならば誰が何う見ても同一人とは見えぬ様に生れ替わらせる事が出来ますけれど、何しろ美しい者を美しい儘で変形させようというのですから、手際を現わす範囲が至って狭い、異中に異を求めるのでなく、同中に異を求めるのですから、全体云えば無理な話ですけれど、私は仕遂げました、とは云え何うも二人の顔に似寄った所が大変に残って居ます、既に鼻などは少しも変る事が出来ん。変れば必ず見劣りがするのです、歯並びなども其の通りで、真に天然の完全に達して居る者をば、其の完全を傷つけずに並べ変え
前へ
次へ
全134ページ中85ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
黒岩 涙香 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング