い。茲では白状して叔父に安心させ油断させて置いて、後で窃かに毒殺すれば好いと斯う大根《おおね》を括ったのだ。叔父は真逆秀子に此の様な事は有るまいと思ったのが、意外に事実で有ったので、余りの事に気色を損じ、秀子を退けて一室へ閉じ籠った儘と為った。
 其の有様を察すると、前日の遺言状の旨を後悔し、迚も秀子を相続人にする事は出来ぬから、何とか定め直さねば成らぬと独り思案をして居たのかも知れぬ。随分其の様に言えたので、秀子は多分、其の遺言状を書き直さぬうちに叔父を殺さねば其の身が大身代の相続権を失うが上に、又此の家から放逐せられ、身の置き所もない事になると思っただろう、数時間の後再び叔父の室へ行き、二言三言機嫌を取った末、余り叔父の血色が悪いからとて、葡萄酒でもお上り成さいと勧め、棚の硝盃《こっぷ》を自分で取って自分で酒を注ぎ爾して自分の手で叔父に与えた、叔父は受け取って呑むと其のまま身体が痺れた。
 幸い叔父は皆まで呑まずに気が附いたから其の時は唯身体の痺れたくらいで済んだ、爾して直ぐに此の酒には毒があると云い、呑み掛けた硝盃と酒の瓶とへ両手を掛け人を呼んで封をさせて了った、夫だけがやっとの事で其の中に痺れが総身へ廻り、後は何事も為し得ぬ容体と為った。
 けれども是も少しの間であった。医者の手当の好かった為か、宛も酒の酔の醒める様に数時間の後は醒めて了ったが、叔父は少しも之を秀子の仕業とは思わず、猶も秀子に介抱などさせて居たが、唯叔父を診察した医者が容易ならぬ事に思い、其の帰り道に偶然警察署長に逢ったを幸い、兎に角も内々で注意して呉れと頼んだ相だ。丁度其の署長が警察署へ帰った時に、此の森探偵が来合わせて居て其の話を聞き、既にお浦の紛失の事件も自分が調べ掛けて其のままに成って居るし、何しろ幽霊塔には合点の行かぬ事が多いから暫く此の事件を自分へ任せて呉れと云い、漸く其の承諾を得て此の土地の探偵一名を手下とし、看護人の様で、右の医者から此の家へ住み込ませて貰ったと云う事である。
 爾して第一に彼の呑み掛けの盃《こっぷ》と酒の瓶とを分析させた所、瓶の酒には異状がないが盃に在る呑み残りの分には毒が混って居ると分った。シテ見れば酒を注ぐ時にソッと毒薬を盃へ入れた者としか鑑定は出来ぬ。殊に其の毒が不思議にも此の国にはない印度の植物でグラニルと云う草の液であると分った。
 余は是まで聞き「グラニル」とは曩《さき》に余が刺された時、其の刃に塗って有った毒薬である事を思い出し、其の旨を森に告げると森は点頭いて「其処ですて、何しろ此の様な珍しい毒薬に、少しの間に二度も而も同じ家で出会わすとは余り不思議ですから充分手下に調べさせましたが、其の出所が分りました。此の村の盡処《はずれ》に千艸屋《ちぐさや》と云って草花を作って居る家の有るのは御存じでしょう」成る程余は知って居る、曾て其の家の小僧が偽電報の件を余に知らせて来て十ポンドの褒美を得て去った事まで此の話の初めの方へ書き込んで置いた積りだ。余「ハイ知って居ます」森「其の家の主人はお皺婆と云い、昔印度に居た事も有り、今でも印度の草を作って居ます、其の中にグラニルも有るのです」余「ソレがどうしました」森「ソレから此の家に居る人でアノ家へ折々行く人が有ります」余「それは誰です」森「秀子さんの附添虎井夫人です」余「夫人は病気ですが」森「イエ病気は既に大方直りました。昨日も此の夫人がアノ家へ行ったのです」余「何の為に」森「アノ婆が狐猿の飼方や其の病気の時の手当て方をも心得て居るとの事で、毎も表面はそれを問いに行くのです」余「グラニルを買いに行くのではないでしょう」森「ハイそれは買おうにも売りませんから盗む外はないのです」余「では婦人が其の草を盗んで来て」森「イイエ、真逆に自分で盗みも仕ますまいが、アノ夫人はアノ家の小僧に窃かに小使銭を与えて居ます」余「爾としても叔父を毒害したのが秀子だと云う証拠には成りますまい」森「勿論之は証拠ではないのです。唯グラニルの出所をお話し申したのです」余「では何を証拠に秀子を疑いますか」森「生憎其のグラニルの液を入れた小さい瓶が、秀子さんの室から出たのです」

第六十七回 前科者

 毒薬の瓶が秀子の室に隠して有ったとは実に意外な事柄である、流石の余も弁解する事は出来ぬ。
 併し余は必死となり「けれど森さん、世に疑獄と云い探偵の過ちと云う事は随分有る例です。是こそは動かぬ証拠と裁判官まで認めた証拠が豈《あに》図らんや全くの間違いで有ったなどと云う話は、聞いた事がお有りでしょう」森「左様です、其の様な事柄は貴方より私が能く知って居ます」余「夫だのに貴方は唯毒薬の瓶一個で、既に秀子を疑いますか」森「唯瓶一つではなく、今まで申す通り様々の事情が総て秀子を指して居るのです」余「様々の事情とて、
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