る何人に肖《に》て居るのだろう、叔父が斯うまで云うからには余ほど酷く肖て居るに違いない、何人に、何人に、と余は何故か深く此の事が気に掛った、併し叔父は其の事を説き明かさなんだ。
叔父の其の言葉に美人も留まる気に成って、政治家の言葉で言えば茲に秩序が回復した、斯うなるとお浦を宥《なだ》めて機嫌好くせねば、折角の晩餐小会も角突き合いで、極めて不味く終る恐れが有るから、余は外交的手腕を振い、お浦に向って、「貴女が今夜の此の席の主婦人では有りませんか、何うか然る可く差し図して下さい」と、少し花を持せると、お浦は漸う機嫌も直り直ぐに鈴を鳴らして給仕を呼んだ、給仕は遣って来て皿の一二枚割って居るのを見て少し呆れた様子だが、誰も何と説明して好いかを知らぬ、互いに顔を見合わす様を、今まで無言で居た虎井夫人が引き受けて、半分は独言、半分は給仕に向っての様に「何うも此の節は婦人服の裳の広いのが流行る為に時々粗|※[#「※」は底本では、つつみがまえの中に夕、24−下11]《そう》が有りまして」と云いつつ一寸下を見て自分の裳を引き上げた、旨い、旨い、斯う云うと宛で裳が何かへ引っ掛って夫で皿が割れた様にも聞こえ、今の騒ぎはスッカリ此の夫人の裳の蔭へ隠れて仕舞う、裳の広いも仲々重宝だよ、だが併し余は見て取った、此の夫人、何うして一通りや二通りの女でない、嘘を吐く事が大名人で、何の様な場合でも場合相当の計略を回らせて、爾して自分の目的を達する質だ、恐らくは怪美人も或いは此の夫人に制御されるのでは有るまいか、怪美人が極めて美しく極めて優しいだけ此の夫人は隠険で、悪が勝って居る、斯う思うと怪美人と此の美人とを引き離して遣る方が怪美人の為かも知れぬ事に依るとアノ贋電報まで、怪美人が出た後で此の夫人が仕組んだ業では無いか知らん、何か怪美人を余の叔父に逢わせて一狂言書く積りでは無いのか知らんと、余は是ほどまでに疑ったが愈々晩餐には取り掛った。
第七回 全く真剣
食事の間も叔父の目は絶えず怪美人の顔に注いで居る、余ほど怪美人に心を奪われた者と見える、斯うなると余も益々不審に思う、叔父が怪美人をば昔の知人に似て居ると云うたのは誰にだろう、叔父の心を奪うほども全体何人に似て居るだろう、是も怪美人の言い草では無いが分る時には自から分るか知らん。
且食い且語る、其のうちに話は自然と幽霊塔の事に移った、叔父は怪美人を見て「貴女が塔の時計の捲き方を御存知とは不思議です、屡々アノ塔へ上った事がお有りですか」怪美人「ハイ以前は時々登りました、何しろ昔から名高い屋敷ですから、年々に荒れ果てるのを惜く、茲を斯う修復すればとか彼処を何う手入れすればとか、自分の物の様に種々考えた事なども有りました」叔父は熱心に「夫は此の上も無い幸いですよ、実は私が那の屋敷を買い取る事になりましたから、必ず貴女の御意見を伺って其の通りに手入れを致しましょう」怪美人「イエ実は先頃も甥御から事に由ると貴方がお買い取り成さるかも知れぬ様に伺いましたから、一度はお目に掛り私の知った事や思う事なども申し上げ度いと思いました」此の通り話の持てるは甚くお浦の癪は障ると見える、お浦は機さえ有れば此の話を遮り叔父と怪美人の間を引き割こうと待って居る有様で、眼の光り具合も常とは違う、叔父「孰れにしても此の後、屡々貴女へお逢い申し、又場合に依れば逗留の積りで塔へお出をも願い度いと思いますが、貴女のお住居は何ちらでしょう」怪美人は少し当惑の様で、「イエ住居は定らぬと申すより外は有りません、なれど是から大抵の宴会には招きに応ずる積りですから、貴方が交際社会へお出掛けにさえなれば、一週間とお目に掛らぬ事は有りますまい」叔父「イヤ私は更に左様な招きには応ぜぬ事にし、今まで宅に閉じ籠ってのみ居ましたが貴女にお目に掛れるとならば此の後は欠さず宴会には出席しましょう」此の丁寧な挨拶を傍から聞いて、お浦は耐え兼ね「叔父さん、其の様な勿体を附けて住居さえ明らかに云わぬ方の後を、何も追い掛るには及ばぬでは有りませんか」叔父は赫っと立腹したが直ぐに心を取り直して美人に謝し、「誠に我儘者で致し方が有りません、何うか此の女の云う事はお気に留めぬ様に」といい更に余に向ってお浦を取り鎮めよと云わぬ許りの目配《めくばせ》した、怪美人は謙遜し「イエ何に、あの様仰有るが当り前です、今の所私は少し住居を申し上げ兼ねる訳が有りまして、知らぬ方からは総て幾等か疑われます」叔父「貴女を疑うなどとは飛んでも無い、何うか何事もお気に留めず、幽霊塔に就いての貴女の設計や、時計の捲き方など充分にお知らせを願います」怪美人「ハイ夫は初めから申し上げる積りですから、必ず申し上げますが、夫にしても此の様な所では、イヤ貴方の外に何方も居ぬ時に申し上げましょう、甥御に烽サうお断り申
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