為ったのが嬉しい、此の後は最う何れほど秀子を恋慕い、縦しや夫婦約束を仕たとても差し支えは無い、斯う思って重い荷物を解き捨てた様な気がしたが併し自分の仕合せを喜んでのみ居る場合で無い、兎に角お浦に逢わねばと直ぐに兼ねて知る根西夫人と云う人の許を尋ねたが間の悪い時は悪い者で、一歩違いに行違い、追い掛けて行く先々で毎もお浦の立った後へ行って、到頭一日無駄に暮した、勿論叔父には其の旨を電報した、爾して翌日も日の暮まで馳せ廻ったが逢う事は出来ず、三日目にはドバの港まで追い掛けたが是も一船先にお浦と根西夫人との一行が立った後で有った、落胆して倫敦の叔父の家まで帰って見ると、叔父からは「最う来るには及ばぬ、己は近日帰る」と云う電報が来て居る、来るには及ばぬとは何事ぞ。人に之ほどの苦労を掛けて、扨は余の便を待たずに怪美人へは充分に詫びをして其の心を解く事が出来たと見える、爾すれば最う倫敦へ帰る筈だのに近日帰るとは是も何事ぞ、扨は、扨は、怪美人松谷秀子と分るるに忍びずして便々と日を送る気か。事に由ると是はお浦の手紙に在る事が当るか知らんなど、余は気が揉めて成らぬけれど、来るに及ばぬと明らかに制して来たのを、押し掛けて行く事も出来ず、身を掻きむしる程の思いで控えて居ると二日、三日、四日を経って、叔父はニコニコ者で帰って来た、帰って来て直ぐに余を一室へ呼び、今迄の陰気な顔を、見違える程若返らせて「コレ道九郎、其の方に祝して貰わねば成らぬ事が有る、何しろ目出度いよ」余は悸《ぎょっ》とした、「ハイ、夫ほどお目出度い事ならお祝い申しますが」と返事の声も何となく咽に詰った、叔父「己は此の年に成って此の様に嬉しい事はない」余に取っては少しも嬉しくはない、叔父「本統に嬉しいよ、アノ『秘書官』の著者よなア」余「エヽエヽ松谷秀子ですか」叔父「爾よ、其の松谷秀子がよ、己の親切に絆《ほだ》されて、到頭約束をして呉れた」余は全く声が出ぬ、漸く縊《くび》られる様な思いで「何時御婚礼を成されます」と問い返した辛さは真に察して貰い度い。
第十七回 小利口な前置き
「何時御婚礼を為されます」との余の問いに、叔父は甚く驚いた様子で「其の方は何を云うのだ婚礼などと」余は怪訝に思い「松谷秀子と貴方の御婚礼は」叔父「アハヽ是は可笑しい、其の方は五十に余った己が再び婚礼すると思うのか、爾ではないよ、松谷秀子を己の養女にする
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