云う様な暗い心でない事も分って居る、余は斯う思うと余り叔父と秀子との仲の好いのが気に掛かり、邪魔すると云う訳ではないが同じく秀子の傍へ行って、叔父を推し退ける程にして挨拶した。
 すると此の時、余の背後で、満場の人々に聞こえよがしに、大きな声をする者がある、それは浦原嬢だ、イヤ浦原嬢と許りでは読者に分るまい、例のお浦である、お浦の本姓は浦原と云い他人からは浦原嬢と呼ばれて居るのだ、浦原嬢は強いて此の怪美人の傍へ来るは見識に障ると思ったか顋《あご》で松谷嬢を指して「本統に貴女は化けるのがお上手です」と叫んだ、褒め様も有ろうのに化けるのがお上手とは余り耳障りの言葉ではないか、満場の人は異様に聞き耳を立てた様だ、松谷嬢は気にも留めず唯軽く笑って「私が化けたのではなく幻燈の光が化けさせて呉れたのです」浦原嬢は此の返事を待ち設けて居た様子で「アレ彼の様におとぼけ成さる、今夜の事では有りませんよ、仲働きが令嬢に化けるを云うのですよ」扨はお浦め、此の美人を昔のお紺婆の雇人古山お酉とやら云う仲働きとの兼ねての疑いを稠人《ちょうじん》満座の中で発《あば》いて恥を掻せる積りと見える、去れば怪美人は全く其の意味が分らぬ風で「エ貴女の仰有る事は、何だか私には」お浦「お分りに成りませんか、私は又仲働きとさえ云えば直ぐにお紺婆の仲働きとお悟り成さって何も詳しく申して貴女に赤面させずに済むだろうと思いましたのに、お分りがないなら詮方なく分る様申しましょう、婆あ殺し詮議の時に色男と共に法廷へ引き出された古山お酉と云う仲働きの事ですよ、ハイ下女の事ですよ、其のお酉が下女の癖に旨く令嬢に化け果《おわ》せたから夫で呆れる、イヤ感心すると褒めたのです」余は此の言葉を聞きお浦を擲倒《はりたお》して遣り度い程に思ったが爾も成らず、且は此の美人が果してお酉で有るか否やを見極め度いと云う心も少しは有る、何も自分だけは好い児に成ってお浦が確かめて呉れるのを待つと云う猾い了見ではないけれど、唯其の心が少し許りある為に、お浦を擲り倒すのを聊か猶予した、聊か猶予の間に争いは恐しく亢じて仕舞った。

第十三回 毛髪悉く逆立つ

 お浦の言い方は実に毒々しい、乙に言葉を搦《から》んでは有るけれど全く抉《えぐ》る様に聞こえる、此の抉り方は女の専売で、男には何うしても出来ぬ事だ、若し怪美人が真に古山お酉と云う下女で旨く令嬢姿に化
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