恐れを帯びて震えて居るにも分って居る、余「其の様な空々しい偽りを吐く者では有りません、損害を掛けたのは貴女で、損害を受けたのは外の女だと云う事は貴女自ら能く知って居るでは有りませんか」お浦は悔しげに余の手を払い退け「貴方は爾うまで私が憎いのですか、爾までアノ女が可愛いのですか」と打ち叫んだ、余は厳重に「憎いの可愛いのと云う事は別問題です、私は愛憎に拘らず貴女を責めるのです、斯く云えば矢張り松谷秀子を愛する為に私が云う様にお思いでしょうが、秀子を愛すると云う事は過ぎ去った夢になりました、此の後再び秀子の顔を見るか否かさえ分りません」
 お浦は驚いて一歩前に進み出で「アア到頭貴方は松谷秀子の汚らわしい素性を看破りましたか」余「看破りも何も致しません、唯松谷秀子が無実の罪を被、長い間濡衣に苦しんで居た不幸なるイヤ清浄潔白な女だと云う事を知ったのです、夫は知りましたれど、秀子は私の者ではなく全く他人の者に成りました」お浦「エ他人の、とは弁護士権田時介氏の事でしょう」余「爾です、秀子は権田時介の妻とする事に定まりました」
 お浦は何事か合点し得ぬ様に暫し余の顔を見詰めて居たが、忽ちワッと泣き出した。「エエ、欺された、欺された、アノ悪人に、彼奴め復讐をさせて遣るの秀子を滅して遣るのと云い、初めから人を欺き、爾して今は其の復讐さえも出来ずして終わるとは」余は女の涙には極めて脆い性分である、お浦の様な忌む可く憎む可き女の顔にもまこと涙の流れるを見ては甚く叱り附ける勇気がない、少しは言葉を柔らげて「貴女は誰の事を其の様に云うのです、彼奴めとは誰を指します」お浦「彼奴めとは彼奴めですよ、彼の悪人ですよ、私の所天《おっと》ですよ」余「エ、エ貴女は既に所天を持ったのですか、貴女は所天が有るのですか」お浦「ハイ彼奴が私を欺いて無理に婚礼させました、御存じの通り私は自分の過ちの為とは云え貴方に捨てられ、其の腹立たしさやら絶望の余りに益々深く彼奴の様な悪人の言葉を聴き、彼奴が貴方に対して充分恨みを晴させて遣るの、秀子を滅して遣るのと云うにツイ載せられて、ハイ私は彼奴の為に道具に使われまして、今までとても気が附いては居ましたが、今ほど明らかに彼奴の憎さが分った事は有りません」余「だけれど其の彼奴と云うのが誰の事か未だ私には分りませんが」お浦「オヤ貴方に分りませんか、彼奴とは高輪田長三の事ですよ」高
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