っても、決して其の盡した愛想を回復することは有りません、生涯私を度外に置きますが」
 権田「無論です、生涯貴方を度外に置き、秀子の眼中に全く丸部道九郎と云う男のない様に成らねば救うことは出来ません」
 此の様な奇怪な言い分が世に有ろうか、世は唯呆気に取られ「権田さん貴方の言う事は少しも私に分りません、何で秀子が生涯私を賤しむ様にならねば其の濡衣を乾す事が出来ませんか。其の様な其の様な理由は何所に在ります、夫も明白に説き明かし、私の心へ成るほど合点の行く様に言い立てねば、私は遺憾ながら貴方を狂人と認めます、貴方の言葉は少しも辻褄が合わず全く狂人の囈語《たわごと》です」権田は怒る様子もなく「左様さ、狂人の囈語なら少しも貴方へお気の毒な思いは致しませんが、狂人の囈語でなく、全く此の外に秀子を救う道がないから残念です」余「とは何故です、何故です」
 権田「一口に申せば、貴方へ心底から愛想を盡さぬ以上は、秀子は決して此の権田時介の妻に成りません、時介の妻にならねば、時介は決して救うて遣る事は出来ません。持って居る証拠を握り潰します、ハイ是は最う男子の一言で断言します、是でお分りに成りましたか」アア彼の言葉は全く嫉妬に狂する鬼の言葉だ。

第九十四回 血を吐く思い

 人が井戸の中に落ち込んで居るを見て、誰か救うて遣り度いと思わぬ人が有ろうか、人が無実の濡衣に苦しんで居るのを見て、誰か其の濡衣を乾して遣り度いと思わぬ者が有ろうか、若し有れば其の人は鬼である。
 況《ま》して其の濡衣たるや養母殺し養父殺しと云う大罪で其の人は自分の愛し憐れみ尊敬する女である、其の女を大罪大嫌疑から救い出すのに、自分の妻に成らねば厭だとは是が人間の言葉で有ろうか、余は暫し呆れて権田時介の顔を見詰めて、殆ど一語も発する事が出来なんだが、彼も余の言葉を聞く迄はと云う風で一語を発せぬ。何時まで黙って居たとて果てしが無いから余は竟《つい》に「権田さん貴方の云う事は余り甚いでは有りませんか、秀子が自分の妻に成らねば救うて遣る事は出来ぬなどと」権田「左様さ、或いは甚いかも知れませんけれど、是は他人から評す可きで貴方から評せらる可き事柄では有りません」余「何んで」権田「其の甚さは貴方とても同じ事ですもの、貴方とても仔細に心の裡を解剖して見れば矢張り自分の妻にせねば救わぬと云うに帰するでは有りませんか」余「ナアニ私
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