アノ義母殺しの輪田夏子の墓へ参詣した所を見ると或いは此の疑いが当るかも知れぬ、仲働きを勤めて居て主人の養女夏子とは懇意で有った為、昔の事を思い出して参詣したのか、斯う思えば一言も無いけれど、余は何故かアノ怪美人を仲働きなどの末とは思わぬ、何となく別人の様な気がする、全体余は至って直覚の明らかな生まれ附きで、今まで斯うだろうと感じた事は余り間違った例がない、此の松谷秀子を古山お酉とやら云う仲働きと別人だと思う感じも、決して間違う筈がない、と自分だけは斯う思う。
併し別に争い様もないから、無言の儘で、何とかお浦の疑いを挫く工夫は有るまいかと、悔しがって居ると、丁度叔父朝夫が這入って来た、叔父は甚く落胆の様子で「ア、今朝篤と松谷秀子嬢に逢い、昨夜の詫びも云い更《あらた》めて時計の秘密を聞き度いと思い其の室を尋ねたら、虎井夫人と共に早朝に此の宿を立った相だ、爾して行く先も分らぬ」お浦は益々勝ち誇って「爾でしょうよ、昔の素性を知った人が多勢居る土地に、そう長居は出来ぬ筈です」と独語の様に云い、更に余に向って「道さん、夜逃げよりも朝逃げの方が、貴方のお目には貴婦人らしく見えましょうネエ」何方まで余を遣り込める積りだろう、併し余は相手にせず、食事の終るまで無言で有ったが、頓て叔父は余に向い「来た序でだから是より幽霊塔の中を見て来よう」と云い、共々に出かける事とは成ったが、本統に幽霊塔を昼の中に検査するのは是が初めてだ、検査の上で何の様な事を発見するかは烱眼な読者にも想像が届くまい。
第九回 丸部家の咒文
愈々幽霊塔の検査に行く事と為って、余は一番先に此の宿の店先まで出掛けた、叔父とお浦は未だ出て来ぬ、多分は叔父がお浦に向い、昨夜の小言を云って居るので有ろう、余の居る所で小言を云うのを余り気の毒だと思い、故と余を先へ出したらしい。
余は待ちながら帳場に在る客帳を開いて見た、見ると松谷秀子と虎井夫人との名が余の直ぐ前へ記《つ》いて居る、即ち二人は余等より一日先に此の宿へ来た者だ、此の宿ではタッた二晩しか泊らなんだのだ、余は若しや此の客帳の字と昨夜の贋電報の字と同じ事では有るまいかと思い、能く能く鑑定して見たが全く違って居る、客帳のは余ほど綺麗な筆蹟で珍しい達筆と云っても好い、多分怪美人が自分で書いたので有ろう、仲々電報の頼信紙に在った様な悪筆では無い、余は猶帳場の者に少し鼻
前へ
次へ
全267ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
黒岩 涙香 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング