炉《すとうぶ》の様な所も有る、窓も有る、窓には大きな鉄の棒を竪に幾本もはめて有る、昔は多分立派な居室ででも有っただろうが今は全く牢屋も同様だ。窓の鉄の棒などの頑丈なことは、宛で熊でも縋り相だ。
 又一方の壁には入口と違って通常の戸の締った出口の様な所が有る。アア此の室は一室ではなく、幾室か続いて一組の座敷を為して居るのであろう。次の室、居室、寝室と元は立派に備わって居たのかも知れぬと、更に其の戸を開けて見ると錠も卸りて居ぬ、全く次の室らしい、之へ歩み入って又探ると、茲は前の室と違い、様々の造作がある、押入、戸棚、化粧台の様な物も手に触わる、爾して片方には、オヤオヤ寝台がある、最一つ次の室が有ろうかと探って見ると、成るほど一つの戸口は有るけれど、此は固く締って居る、此の上に探ったとて同じ事よ、先ず寝台の有るのを幸いに、矢張り夜の明けるまで寝るより外は仕方がない。
 寝台は爾ほど汚れても居ぬ様に思われる、埃の臭気は鼻に慣れて別に感じぬが、其の外に何だか鼻なれぬ香いがある、扨は女が此の間に居て今に化粧品でも残って居るのか知らん、余り心持の悪くない香いだ、臭気ではなく寧ろ香気だ、爾だ爾だ化粧台の有ったのを見ても女の住んだ事は分る、斯う思うと幾分か心の中も寛《ゆるや》かになり其のまま寝台へ上ったが、香気は極微弱では有るけれど余の神経へ最と妙なる影響を及ぼした。確かに此の香いは秀子が常に愛して居る香料と同じ者だ、秀子の室へ這入る度に余が精神の爽かになるのを覚えるのは確かにこれだ、扨は此の室が即ち秀子の居た室か知らん、秀子が此の家に居た事は様々の事柄で察せられるのみならず、宵の程幾度か婆の口から美人と云ったのも秀子の様だ、シテ見ると此の寝台が秀子の寝た跡かも知れぬ。
 余は唯是だけの事に大いに心を打ち寛《くつろ》ぎ、何時の間にか眠って了った、僅かに二三十分も眠ったかと思う心持だのに、目が覚めて見れば早や、古い窓の戸の透《すき》から朗かな旭日の影が射して居る、余に取っては蘇生の想いだ、気も軽く寝台より下り、室中を見廻したが、室に在る多少の小道具などを見ると茲に秀子の身の秘密が幾等か残って居る様に思われた。併し此等よりも猶余の心を惹く一物は寝台の枕の方に当たる壁に、大きく貼り附けてある異様な絵姿である、イヤ其の絵姿の眼である。

第五十九回 次の間の住者

 絵姿は余り古くもなく勿論
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