林の中に分け入って、凡そ五哩も行ったかと思う頃、養蟲園へ達した。見れば草の茫々と茂った中に、昔の大きな石礎などが残って居る、問うまでもなく零落した古跡の一つで、元は必ず大きな屋敷であっただろう、それが火事に逢って家の一部分だけ焼け残ったのを、其のまま修繕して住居に直したらしく、家の横手に高大な煉瓦の壁だけが所々に立って、低く崩れたもあり高く聳えたもある、但し焼けたのは今より五七十年も前だろうと余の目では鑑定する。
今住居と為って居る家だけでも可なり広い、家の背後は山、左は林、右は焼跡から矢張り林へ連なって居るが、何しろ人里から離れた土地で山賊でも住んで居そうだ、爾して焼けた古煉瓦を無造作に積み上げたのが門の様に成って居て戸が締って居る、誰も此の様な家へ侵入する者はあるまいに戸には錠までも卸してある、後で分ったが外から入る人を防ぐよりも、寧ろ内から出る者を妨げる為であった、不束ながら門に続いて疎な丸木の垣がある、犬猫なら潜って出る事は出来ようが人間には六かしい。
余は門を推してもあかぬから軽く叩いて見ると馬車の中から、今まで無言で居た甚蔵が声を出したから「何事ぞ」と返って問うと「此の鍵がなければ開きません」とて鉄の大きな鍵を差し出した、彼は肩も腰も骨を挫かれて居るけれど右の手だけは達者で、自分で衣嚢を探り鍵などを取り出す事が出来るのだ、何しろ主人が外へ出ると、門に錠を卸してその鍵を持って去るとは全で番人のない家の様だが、内はガラ空か知らんと、此の様に思いつつ進み入ろうとすると、甚蔵は馬車の中から又呻いて余を呼び「門が開いたらその鍵を返して下さい」と請求した、半死半生の癖に仲々厳重な男である、是も何か家の中に秘密がある為に、斯う用心の深い癖と成ったのに違いない、余はその秘密を看て取る迄は此の家を去らぬ事に仕よう。
鍵を返して門を入れば玄関に案内の鐘を吊り、小さい槌を添えてある、槌を取って鐘を叩いたが中からは返事がなく、唯何所からか犬の吠える声が聞こえる、幾度叩いても同じ事だ、再び馬車に返って甚蔵に問うと、彼は鍵を取り返して安心したのか、痛く力が脱けた様子で、唯「裏へ、裏へ」と云う声を微かに洩し、差し図する様に顋を動かす許りである、今度は其の意に従って家の裏口へ廻って見ると茲も戸が閉って居るが、窓の硝子越しに窺くと薄暗い中に、何とも評し様のないほど醜い老人の顔が見え
前へ
次へ
全267ページ中112ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
黒岩 涙香 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング