人だ、成るほど考えて見ると其のお夏の死骸を、弁護士権田時介と云う者が、前年自分が弁護した由縁《ゆかり》で引き取って此の屋敷へ埋めたと云う事を其の頃の新聞で読んだ事が有る、其の様な汚らわしい者の墓へ此の美人が参詣とは是も怪だ。
第四回 誰の悪戯
養母殺しの大罪人の墓へ参詣するなどは余り興の醒めた振舞ゆえ余は容赦なく「貴女は此の女の親類か友達ですか」と問うた、怪美人は「イイエ、親類でも知人でも有りません」と答えた。益々不思議だ、是が貞女烈女の墓とか賢人君子の墓とか云えば、知らぬ人でも肖《あや》かり度いと思って或いは参るかも知れぬが、人を殺して牢死した者の墓へ、親戚でも知人でも無い者が参るとは、全く有られも無い事だ、余「夫では何の為にお詣り成さる」怪美人は真面目に顔を上げ、
「其の様にお問いなさらずとも、分る時が来れば自然に分りますよ」と云い、其のまま今度は玄関の方を指し徐々《そろそろ》歩み始めたが、何だか意味の有り相《そう》な言葉だ。
余は最《も》そっと深く此の美人の事が知り度く此のまま分れるは如何にも残念だから、猶此の後に附いて歩みながら、横手へ首を突き出して「貴女は先刻、私の叔父へ、時計の捲き方を教えて下さる様に仰有りましたが、何うかお名前などを伺い度く思います」美人は何事をか考え込んで、今までより無愛想に「私は姓名を知らぬ方に自分の姓名は申しません」成るほど余は未だ此の美人に姓名を告げなんだ、「イヤ、私は丸部道九郎と云う者です、叔父は丸部朝夫と申します」美人は少し柔かに「アア兼ねて聞いて居るお名前です、私は松谷秀子と申します」余「お住居は」美人「今夜は此の先の田舎ホテルと云う宿屋に泊ります」田舎ホテルとは余が茲へ来る時に、荷物を預けて来た宿屋で、余も今夜其所に泊る積りである。
「イヤ夫は不思議です、私も其の宿屋へ行くのです、御一緒に参りましょう」
美人は宿屋まで送られるのを有難く思う様子も見えぬ、単に「爾ですか」と答えたが、併し別に拒まぬ所を見れば同意したも同じ事だ、此の時は既に夜に入り、道も充分には見えぬから、余は親切に「私の腕へお縋り成さっては如何です」美人「イイエ、夜道には慣れて居ます」食い切る様な言い方で、余は取り附く島も無い、詮方なく唯並んで無言の儘で歩いて居たが其の中にも色々と考えて見るに、松谷秀子と云うも本名か偽名か分らぬ、全体何の目的でア
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