、忘れてしまった。
 その他にもまだ、
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〔Encore 255 jours a` taire.〕(まだ二百五十五日だんまりでいなくちゃならない)
〔Vive de'cembre 1923.〕(一九二三年十二月万歳)
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 といったように、放免の日を待ち数えたのや、また、
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Ah ! 7 ! Perdu !(ああ、七だ、おしまいだ!)
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 と書いて、そのそばに四の目の出た骰子と三の目の出た骰子と二つ描いてあるのもあった。何か不吉の数なのだろう。
 それから、これは日本なぞではちょっと見られないものだろうが、
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Riri de Barbes(バルブのリリ[#「バルブのリリ」は底本では「何とかのようなやくざものの」])
Fat comme poisse(何とかのようなやくざものの[#「何とかのようなやくざものの」は底本では「バルブのリリ」])
Aime sa femme(その妻)
dit Jeanne.(ジャンを愛する)
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 というのや、また、
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Emile(エミル)
Adore sa femme(命にかけて)
pour la Vie.(その妻を恋いあこがれる)
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 という熱心なのもあった。
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Ce qui mange doit produire(食うものは生産せざるべからず)
Vive le soviet.(ソヴィエト万歳)
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 とあって、その下にわざわざボルシェヴィキと書いてあるのもあった。
 僕も一つ面白半分に、
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E. Osugi.(エイ、オスギ)
Anarchiste japonais(日本無政府主義者)
〔Arre^te' a` S. Denis〕(セン・ドニにて捕わる)
Le 1 Mai 1923.(一九二三年五月一日)
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 と、ペン先きで深く壁にほりこんで、その中へインクをつめてやった。

 予審へは一度呼び出された。
 まだ弁護士の来ない間に訊問を始めようとしたので、さっそく例の手で両肩をあげて見せた。判事はあわてて書記に命じて弁護士を探しにやった。
 取調べは実に簡単なものだった。というよりもむしろ、大部分は判事と弁護士との懇談のようなものだった。
 警視庁からの罪名書きには、暴力で警官に抵抗したという官吏抗拒罪や、秩序紊乱罪や、旅券規則違反罪や、浮浪罪などといういろんな出たらめが並べてあったが、予審判事はその中の旅券規則違反についてのことだけしか尋ねなかった。そうする方が一番面倒もなかったのだろう。

 そしてどこからどう聞いて来たか、あなたのお父さんは陸軍大佐だったそうですね、といったようなことを大ぶ丁寧に聞いた。実は少佐なのだが、せっかくそんなに大佐をありがたがっているものならそう思わして置けと思って、僕もそうですとすまして答えた。その他にも、もと相当な社会主義者で東洋方面の社会運動に詳しい、そして今は保守党の『レクレエル』という日刊新聞の主筆になっている何とかいう男が、僕のことを大ぶえらい学者ででもあるかのようにその新聞で書き立てたそうなので、判事も大ぶ敬意を払っていたのだそうだ。

 最初弁護士の話では、裁判所側はリヨンの方やその他いろんな方面を取調べなければならんので、公判までにはまだ一、二カ月かかるだろうということだったが、予審の日に弁護士が保釈を請求して、いろいろ判事と懇談の末、保釈は却下されることとなってその代りすぐ公判を開くことに話がついた。
 公判は、予審の調べから一週間目の、五月二十三日に開かれた。
 十四、五人の被告がボックスの中に待っている間に、傍聴人がぞろぞろと詰めかけて、やがてリンの響きとともに、よぼよぼのお爺さん判事が三人とそのあとへ検事とがはいって来た。
 裁判官等のうしろの壁には、正義の女神の立像が、白く浮きぼりに立っていた。
 裁判長はすぐそばにいる僕等にすらもよく聞きとれないような、歯なしのせいのただ口をもぐもぐするような口調ですぐ裁判を始めた。
「お前はいつ幾日どことかで何とかしたな。……よろしい。それでは……」
 とちょっと検事の方を向いて、そのうなずくのを見ると、こんどは両方の判事に何か一こと二こと言って、
「それでは、禁錮幾カ月、罰金いくら。その次は何の誰……」
 というような調子で、一瀉千里の勢いで即決して行く。
 僕の番は六、七人目に来たが、やはりそれと同じことだった。
「お前はいつ幾日か、にせの旅券とにせの名前でフランスにはいったに相違ないな。」
「そうです。」
「それについて別に何か言うことはないか。」
「何にもありません。」
「それじゃその事実を全部認めるんだな。」
「そうです。」
 それで問答はおしまいだ。検事は何も言うことがないと見えて、黙って裁判長にうなずいた。
 そして弁護士が二十分ばかりそのお得意の雄弁をふるったあとで、
「よろしい。禁錮三週間。罰金いくらいくら。次は何の誰……」
 裁判長がそう判決を言い渡すと、僕等のうしろに立っていた巡査の一人が、さあ行こうと言って一緒にそとへ連れて出た。
 フランスでは、未決拘留の日数は三日間をのぞいたあとをすべて通算する。で、僕はその日に満期となって、翌日は放免の訳だ。
 あっけのないことおびただしい。

 裁判所の下の仮監では、この日同じ法廷で裁判される四、五人の男と一緒にいた。
 裁判の始まるのを待つ間、みんなガヤガヤと自分の事件についての話をしあっていた。実はこうこうなんだが、そこをこう言ってうまく逃げてやろうと思うんだとか。いや、実につまらん目にあいましてな、こうこう言うつもりのがついこんなことになってしまいましてとか。なあに、そんなことなら何でもない、せいぜい三月か四月だとか。話は日本の裁判所の仮監のとちっとも違いはない。そしてその大がいは、何百フランとか何千フランとかをどうとかしたという、金の話ばかりだ。それも、ちょっとした詐偽だとか、費いこみだとかの、ちっとも面白くない話ばかりだ。
 で、僕は黙って、薄暗い室の中の壁の落書を、一人で調べていた。
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A bas l'avocat officiel !(くたばっちゃい官選弁護士の野郎)
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 というのが二つ三つある。その他は牢やの監房で見たのと同じようなことばかりだ。女房の誰とかを恋するとか、生命にかけてブルタニュ女の誰とかを崇めるとかいうのも、幾つも書いてあったが、その女房かブルタニュ女かの肖像をなかなかうまく描いているのもあった。変な猥※[#「褻」の「熱−れんが」に代えて「執」、113−3]な絵もあった。
 そんなのを一々詳細に読んで行く間に、
「おい、君は何だ、泥棒か。」
 と、僕の肩を叩く奴がある。さっきからしきりに、みんなに、君は幾カ月、君は幾カ月と刑の宣告をしている、前科幾犯面の奴だ。
「あ、まあそんなものだね。」
 といい加減にあしらってやると、
「そうか、何を盗んだんだ。君は安南人か。」
 とまた聞く。そうなって来るとうるさいから、僕も、
「いや、僕は日本人だ。」
 と、こんどは本当のことを言う。
「日本人で泥棒? それや珍らしいな。いつフランスへ来たんだい?」
 前科幾犯先生はますますひつこく聞いて来る。僕はこの上うるさくなってはと思って、
「まだ来たばかりさ。そしてメーデーにちょっと演説をして捕まったんさ。」
 と、本当のまた本当のことを言った。
「そうか、じゃ政治犯だね。」
 先生はそう言ったきりで、また向うをむいてほかの先生等と何か話ししはじめた。
 すると、今までみんなの中にははいっていたが、黙ってほかのもののおしゃべりを聞いていた、一方の手の少し変な四十ばかりの男が僕のそばへやって来た。
「あなたもメーデーでやられたんですか。僕もやはりそうでコンバで捕まったんですけれど、あなたはどこででした。」
 その男は見すぼらしい労働者風をしていたが、言葉は丁寧だった。コンバと言えば、C・G・T・U本部のすぐそばの広場だ。そしてそこにはル・リベルテエルの連中の無政府主義者がうんと集まっていた筈だ。で、僕はこれはいい仲間を見つけたと思って、そこの様子を聞こうと思った。
「僕はセン・ドニでやられたんだが、コンバの方はどうでした?」
「それや、ずいぶん盛んでしたよ。演説なんぞはいい加減にして、すぐ僕等が先登になってそとへ駈けだしましてね。電車を二、三台ぶち毀して、とうとうその交通をとめてしまいましたよ。」
 この男もやはり無政府主義者で、もとは機械工だったんだが戦争で手を負傷して、今は何やかやの使い歩きをして食っているのだった。そして、去年もやはりコンバで大ぶあばれたんだそうだが、その時には一人も捕まらずに済んで、彼も無事に家に帰った。が、ことしは警察がばかに厳重で、あばれかたは去年と大差はなかったのだが、百人近く捕まったのだそうだ。
「ことしは警察も大ぶ乱暴だったが、裁判所も厳重にやるって、弁護士が言ってましたよ。あなたの方は、それじゃ、追放だけで済むんでしょうが、僕はまあ半年ぐらい食いそうですね。」
 こんな話をしている間に、みんなは法廷に引きだされたのであった。そして僕が仮監へ帰って来ると、間もなくその男も帰って来た。
「あなたもすぐ出れますね。僕も今晩出ますよ。やっぱり六カ月食うには食ったんですが。でも、この名誉のてんぼ[#「てんぼ」に傍点]のお蔭で、弁護士がしきりにそれを力説しましてね、お蔭で二カ年間の執行猶予になりましたよ。」
 彼は嬉しそうにしかし皮肉に笑いながらはいって来て、僕の手を握った。そして、間もなくまたみんなは仮監から出されて、馬車で監獄へ送られた。

    七

 翌二十四日の朝、巡査に送られて裁判所の留置場へ行った。
「グラン・サロン(大客室《だいきゃくま》)へ!」
 と言われたので、どんなサロンかと思って巡査について行くと、前にいた留置場のそばの、やはりそこと同じような鉄の扉をがちゃがちゃと開けて押しこまれた。
 なるほど大広間には違いない。椅子をならべて演説会場にしても、五百や六百の人間はらくにはいれそうな広さだ。昔は、この裁判所は、そのそばの警視庁などと一緒に、何とか王の宮殿だったのだそうだから、その頃の何かの大広間なのだろう。床はたたきになっているが、そこに大理石の大きな円柱が三、四本立っていて、天井なんぞもずいぶん立派なものだ。はいって見ると、あっちにもこっちにも、五、六人乃至七、八人ずつかたまって、何かおしゃべりしている。僕はその一団の、少し気のきいた風をした若い連中のところへ近づいて行った。
 みんなはフランス語で話ししているが、その調子にどこか外国人らしいところがある。顔もフランス人とは少し違う。
「君も追放ですね。」
 その中の背の高いイタリア人らしいのが、僕の顔を見るとすぐ問いかけた。
「ああ、そうですか、僕等もみんな追放なんです、まあ、一ぷくどうです?」
 そしてその男は煙草のケースをさし出しながらこう言った。
 いろいろ話はして見たが、別にどうという悪いことはした様子もない。が、とにかくちょっと牢にはいって、今追放されるのだと言うんだから、いずれ旅券か身元証明書の上の何かの不備からなのだろう。そしてその色男らしい風采[#「風采」は底本では「風釆」]や処作から推すと、どうも「マクロ」らしく思われた。マクロというのは、淫売に食わして貰っている男のことだ。
 が、その男等は誰一人として、イタリアやスペインやポルトガルなぞの、自分の国へ帰ろうというものはない。また、そのほかのどこかの国へ行こうというものもない。みな、このままフランスに、しかもパリに、とどまっているつもりらしい。
「追放になっても、国境から出なくっていいんですか。」
 僕は、みんなあんまり呑気至極に
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