ケられようとして、ひそかに上海に逃げて来て、そこで『新青年』という社会主義雑誌を出していた、支那での共産主義の権威だった。Rはその前年、例の古賀廉造の胆入りで日本へやって来て、大ぶ騒がしかった問題になったことのある男だ。
 僕は、日本を出る時に、きっと喧嘩をして帰って来るんだろうと、同志に話していたが、はたしてその会議はいつも僕とTとの議論で終った。Tは、ここで(六十二字削除)。支那の同志も朝鮮の同志もそれにはほぼ賛成していたようだった。で、僕がもしそれに賛成すれば、会議は何のこともなくすぐ済んでしまうのだった。
 しかし僕は、当時日本の社会主義同盟に加わっていた事実の通り、無政府主義者と共産主義者との提携の可能を信じ、またその必要をも感じていたが、各々の異なった主義者の思想や行動の自由は十分に尊重しなければならないと思っていた。で、無政府主義者としての僕は、極東共産党同盟に加わることもできずまた国際共産党同盟の第三インタナショナルに加わることもできなかった。そして僕の主張は、(三十七字削除)いうこと以上に出ることはできなかった。
 また、そこに集まった各国同志の実情から見ても、朝鮮の
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