えて、その上からそとのマロニエの梢が三本ばかりのぞいていた。もう白い花が咲いていた。
 西向きのこの窓の左には壁にくっついて小さな寝台が置いてあった。ちゃんと毛布を敷いてあったが、ちょっと腰をかけて見てもスプリングはかなりきいていた。毛布も僕が前にいたベルヴィルの木賃宿のよりはよほどよかった。
 右側の壁には、やはりそれにくっついて、テーブルが備えつけてあった。そしてその前には、行儀よく、木の椅子が坐っていた。
 このテーブルに向って左の入口の方の壁には、二つの棚が釣ってあって、そこに茶碗だの、木のスプーンだの、やはり木のフォークだのが置いてあった。
 そして同じ壁の入口の向うの、寝台の足の方の隅には、上に水道栓が出ていて、その真下に白い瀬戸物の便所が大きな口を開いていた。便所の上で食器も洗えば、顔も洗える仕掛になっているのだ。これだけは少々閉口だなと思った。
 床板はモザイクまがいに、小さな板きれをジグザグに並べた、ちょっとしゃれたものだった。
 なるほどこれなら、アナトール・フランスのクレンクビュが、「床の上で飯を食ったっていいや」と言ったのももっともだと思った。そして、いつかパリで見たクレンクビュの活動写真で、このボテふりの親爺が初めて牢に入れられて、ポカンとしたしかし嬉しそうな顔をしながら室の中を眺め廻している姿を思いだした。
 僕はまずこの室がひどく気に入ってしまった。そして一と通りの検分がすむと、さっきスプリングを試して見た寝台の上にごろりと横になって、煙草に火をつけた。

 しばらくすると、看守が半紙二枚くらいの大きさの紙を持って来て、それをテーブルの上の壁にはりつけて行った。
 活版刷りだ。「酒保売品品目および価格」と大きな活字で刷って、その下に「消耗品」と「食品」との二項を設けて、いろいろと品物の名や値段を書きつけてある。
 インク、紙、ペン、頭のブラシ、着物のブラシ、鏡、石鹸、スポンジ、ポマード、タオル、巻煙草、葉巻、刻み煙草というように、普通の人間の日常要るものは大がいならべてある。
 また、パン、ビフテキ、ローストビーフ、ソーセージ、オムレツ、ハム、サーディン、マカロニ、サラダ、キャフェ、チョコレート、バター、ジャム、砂糖、塩、米というように、普通の食品を二十ばかりならべた上に、なお数種の果物と葡萄酒とビールとまでがはいっている。
 そしてその上になお、毎日酒保から食事をとりたいもののために、一週間の朝晩の献立表が出ている。ちょっとうまそうな御馳走が一品ずつならべられて、それでもまだ足りないもののために、夕飯にはもう一品ずつの補いをつけ足している。
 もっとも、これはすべて未決の人間にだが、しかし既決の囚人にでもほんの少々の制限があるだけのことだ。たとえば、一週間に三回しか肉類の御馳走は与えないとか、葡萄酒やビールには一日六十センチリットルを超えてはいけないとかいうくらいのものだ。
 僕はさっそく入口の戸を叩いて、廊下の看守を呼んだ。そしていろんな日用品を注文した上に、食事も毎日とってくれるようにと頼んだ。
「それはうちのレストランからかい、それともそとのレストランかい。」
 兵隊あがりらしい、面つきやからだは逞ましいが、そしていつも葡萄酒の酒臭い息を吐いているが、案外人の好さそうな看守が、よほど注意して聞いていないと分らないような変ななまりのフランス語で尋ね返した。
 僕はうちのよりもそとの方がいいんだろうと思って、そとのだと答えた。
 すると、やがて普通のレストランのボーイのような若い男がやって来て、メニュの小さな紙きれを見せて、昼食の注文をしろと言う。見ると、十品ばかりいろいろならべてある。僕はその中から四品だけ選んで、なお白葡萄酒のごく上等な奴をと贅沢を言った。ボーイはかしこまって引き下った。
 僕はすっかりいい気持になってしまった。この分だと、月に四、五十円もあれば、呑気にこうして暮して行けそうなのだ。

 が、その白葡萄をちびりちびりやりながら、昼飯の四品を平らげて、デザートのチョコレートも済んで、また寝台の上で、こんどは葉巻きを燻ゆらしていると、初めてでもないが、とにかくうちのことを思いだした。
 もう今頃は新聞の電報で僕のつかまったことは分っているに違いない、おとなどもはとうとうやったなぐらいにしか思ってもいまいが、子供は、ことに一番上の女の子の魔子は、みんなから話されないでもその様子で覚って心配しているに違いない。
 いつか女房の手紙にも、うちにいる村木(源次郎)が誰かへの差入れの本を包んでいると、そばから「パパには何にも差入物を送らないの」とそっと言ったとあった。彼女をだますようにして幾日もそとへ泊らして置いて、その間に僕が行衛不明になってしまったもんだから、彼女はてっきりまた牢だと
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