もや、C・G・T・Uの首領どもは、警官隊との衝突を恐れて、できるだけの事勿れ主義を執ったのだ。さればその屋内集会も、パリの市内ではわずかにC・G・T・Uの本部の集会一つくらいのもので、その他はみな郊外の労働者町で催された。イタリアの同志サッコとヴァンセッティとがアメリカで死刑に処せられようとするのに対する、アメリカ大使館への示威運動ですらも、共産党はむりやりにそれを遠い郊外へ持って行ったのだった。
 セン・ドニはパリの北郊の鉄工町だ。そしてそこの労働者はもっとも革命的であり、そこの集会はもっとも盛大だろうと予期されていた。コロメルはそこでフランス無政府主義同盟を代表して演説する筈だった。
 メーデーの朝早く僕は市内の様子を見に出かけた。が、パリはいつものパリとほとんど何の変りもなかった。ただ多少淋しく思われたのは、タクシーが一台も通らなかったくらいのことだ。店はみな開いている。電車も通っていた。地下鉄道も通っていた。
 そしてその電車の中は多少着飾った労働者の夫婦者や子供連れで満員だった。僕はこれらの労働者の家族が郊外の集会に出かけるのだとはどうしても考えられなかった。
「おい、きょうはメーデーじゃないか、お揃いでどこへ行くんだい。」
 僕はすぐそばに立っている男に話しなれた労働者言葉で尋ねた。
「ああ、そのメーデーのお蔭で休みだからねえ。うちじゅうで一日郊外へ遊びに行くんさ。」
 その男はあまり綺麗でもない妻君の腰のあたりに左の手を廻しながら呑気そうに答えた。そしてその右の手にはサンドウィッチや葡萄酒のはいった籠がぶら下っていた。
 僕はその男の横っ面を一つ殴ってやりたいほどに拳が固まった。
 あちこちの壁にはられてあるC・G・T・Uのメーデーのびらは、みなはがれたり破られたりしていた。そしてそのそばには「メーデーに参加するものはドイツのスパイだ」というような意味のC・G・T(旧い労働総同盟)のびらが独り威張っていた。

 セン・ドニの労働会館は、開会の午後三時頃から、八百人余りの労働者ではち切れそうになっていた。
 演説が始まった。予定の弁士が相続いて出た。ルール占領反対、戦争反対、大戦当時の政治犯大赦、労働者の協同戦線、というような当日の標語《モットオ》が、いやにおさまり返った雄弁で長々と説明された。聴衆の拍手は段々減って来る。大きな口のあくびが見える。ぞろぞ
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