ト行かれた。
その辺はほとんど軒並みに、表通りは安キャフェと安たべ物屋、横町は安ホテルといった風の、ずいぶんきたない本当の労働者町なんだ。道々僕は、どんな家へつれて行かれるんだろうと思って、その安ホテルの看板を一々読みながら行った。一日貸し、一夜貸し、とあるのはまだいい。が、その下に、折々、トレ・コンフォルタブル(極上)とあって、便所付きとか電燈付きとかいう文句のついたのがある。便所が室についていないのはまだ分る。しかし電燈のないホテルが、今時、このパリにあるんだろうか。僕は少々驚いてつれの女に聞いた。
「ええ、ありますとも、いくらでもありますよ。」
と言う彼女の話によると、パリの真ん中に、未だ石油ランプを使っているうちがいくらでもあるんだそうだ。僕はそんなうちへつれて行かれちゃ堪らないと思った。そしてそのトレ・コンフォルタブルなうちへ案内してほしいと頼んだ。
彼女と僕とは、グランドホテル何とかいう名のうちの、三階のある一室へ案内されて行った。なるほど、電燈はたしかにある。が、便所は、室の中にもそとにもちょっと見あたらない。
「便所は?」
僕は看板に少々うそがあると思いながら、一緒に登って来たお神さんに尋ねた。
「二階の梯子段のところにあります。」
お神さんは平気な顔で答える。僕も便所が下にあるくらいのことは何でもないと思って、平気で聞いていた。
が、その便所へ行って見ておどろいた。例の腰をかける西洋便所じゃない。ただ、タタキが傾斜になって、その底に小さな穴があるだけなのだ。そしてその傾斜の始まるところで跨ぐのだ。が、そのきたなさはとても日本の辻便所の比じゃない。
僕はどうしてもその便所では用をたすことができなくて、小便は室の中で、バケツの中へジャアジャアとやった。洗面台はあるが、水道栓もなくしたがってまた流しもなく、一々下から水を持って来て、そしてその使った水を流しこんで置く、そのバケツの中へだ。僕ばかりじゃない。あちこちの室から、そのジャアジャアの音がよく聞える。大便にはちょっとこまったが、そとへ出て、横町から大通りへ出ると、すぐ有料の辻便所があるのを発見した。番人のお婆さんに二十サンティム(ざっと三銭だ)のところを五十サンティム奮発してはいって見ると、そこは本当の綺麗な西洋便所だった。
貧民窟の木賃宿だから、などと、日本にいて考えてはいけない。
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