「的はずれのウガチに過ぎなくはなるが、一時は君の言葉にだまされて、喜んでその吹聴をして歩いたという話だ。
 僕は、男としての器量を、まったく下げてしまった訳だ。ひとかどの異端評論家(『国民新聞』記者命名)、サニズムの主唱者(『時事新報』記者命名)、社会主義研究者(『万朝報』記者命名)と人も許し自分も許していた大の男が、新しい女なぞというアバズレの小娘に、見事背負投げを食わされた形になったのだ。
 野枝さん。
 しかし、さすがに僕ひとりだけは、本当の君を知っていた。君を大好きな僕に、僕を大好きの君の心がわかるのに、何の不思議はない。堪ろうと堪るまいと、それは僕等の知ったことじゃないとも言ったが、あんまりおのろけを言うのも、まだ少々気はずかしいような気もするので、このことはこの一句だけで止して置こう。君が、そんなふうでカラ威張りに威張っている間に、ロクに飯も食べずに、だんだん痩せ衰えて行った事実は、もっともこれは君ばかりの事実ではなく僕にもそうではあったが、いずれ君の筆でどこかに発表されることと思う。

         二

 野枝さん。
 けれども、かのいわゆる本能的感情を打破った以来の君は、実に目ざましいほどの、君自身にも僕にも少々驚くほどの、そして本当の君を見ることのできなかった諸友人には何のことやら訳もわからぬほどの、力と速度とで、まっしぐらに、しかし眼を大きく開いて、君の出来心に進んで行った。
 先月の最終日、君が御宿に行った翌日、二度目の君の手紙に言う。
「ひどい嵐です。ちょっとも外には出られません。本当にさびしい日です。けれど今日、さっきあなたに手紙を書いた後、大変幸福に暮しました。何故かあててごらんなさい。言いましょうか。それはね、なお一層深く愛の力を感じたからです。本当に、こないだ、あなたに言いましたね。あなたの御本だけは持って出ましたって。今日は朝から夢中になって読みました。そしてこれがちょうど三,四回目ぐらいです。それでいて、なんだか初めて読んだらしい気がします。
「あなたには、前から幾度も書物を頂くたびに、ぜひ何か書きますってお約束ばかりして何にも書きませんでしたわね。私は書きたくってたまらない癖にどうも不安で書けませんでしたの。それは、本当にあなたのお書きになったものを普通に読むという輪廓だけしか読んでいなかったのだということが、今日はじめてはっきり分りました。
「何という馬鹿な間抜けな奴と笑わないで下さい。私が無意識のうちにあなたに対する私の愛を不自然に押さえていたことは、思いがけなく、こんなところにまで影響していたのだと思いましたから、私は急に息もつけないようなあなたの力の圧迫を感じました。けれども、それが私には、どんなに大きな幸福であり喜びであるか分って下さるでしょう。
「あんなに、あなたのお書きになったものは貪るように読んでいたくせに、本当はちっとも解っていなかったのだと思いますと、何だかあなたに合わせる顔もない気がします。けれどもそれは本当のことなのですもの。そしてあなたはそれをとがめはなさらないでしょうね。今日本当に解ったのですもの。
「そして、また私には、あなたの愛を得て、本当に解ったということは、どんなにうれしいことか解りません。これからの道程だって本当にたのしく待たれます。今夜もまたこれから読みます。一つ一つ頭の中にとけてしみ込んで行くのが分るような気がします。もう二、三日ぐらいはこうやっていられそうです。一杯にその中に浸っていられそうです。
「でも、何だか一層会いたくもなって来ます。本当に来て下さいな、後生ですから。嵐はだんだんひどくなって来ます。あんな物すごいさびしい音を聞きながら、こんな広い二階にひとりっきりでいるのは可哀そうでしょう。でも、何にも邪魔をされないで、あなたのお書きになったものを読むのは、たのしみです。本当に、静かに、おとなしくしていますよ。でも、ちょっとの間だってあなたのことを考えないではいられません。こうやっていますと、いろいろな場合のあなたの顔が一つ一つ浮んできます。
「わずか一週間ばかりの間の私自身の気持を考えてみますと、その変りかたのひどいのに自分ながら不思議がっています。こうやっていましても、会いたいと思い出すと堪らなく会いたいのですけれど、何の不安も動揺も感じません。他の二人の方に対しても自分に対しても。こうやって書いていますと、いくらでも書けそうですから、もう止めましょう。止めようと思いますと、嵐の音が気になって来ます。東京もこんなにひどいのでしょうか。ここはまともに当てますから雨戸を開けて置くこともできないのです。一時間でも早くお目に懸かれるようにして下さい。お願致します。」
 野枝さん。
 君に宛てる手紙の中に、こうして君からの手紙を抜書きするの
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