ヌばかりは、まったくの盲目になってしまった。そして、ただもう、僕のいわゆる乱行にあきれ返っている態だ。
 と言っても、必ずしも、いつもそうだという訳ではない。僕がこんな乱行をやるようになった動機についても、またその他の僕のこの六カ月間の私行の動機についても、心の奥底では決して分っていないのではない。なるほど、彼女には、明らかに口に出して、それを説明することはできないかも知れない。しかし彼女の僕に対する愛は、彼女にそれを直覚させないではいない筈だ。現に、僕のこの乱行の間に僕に対する彼女の態度には、この直覚から出た彼女の態度には、僕は彼女に感謝しなければならない多くのものを見ている。
 また、君に対する彼女の心持とても、必ずしも例の「狐さん」ばかりでいつも充たされているのではない。君は、御宿へ行く時に僕の財布から少々の金を持って行ったことを、彼女が君を軽蔑しあるいは自らを不安に思っていやしないかと心配しているようだったが、彼女とてもそれほどの馬鹿ではない。新聞記事などによって余計な推測をしてはいけない。彼女はまた、そのことをもってただちに、君が「働きのない」辻を去って、「働きのある」僕のところへ、「妾になって来たのだと言われても仕方がない」などと考えるような、そんなさもしい[#「さもしい」に傍点]心の女ではない。真新婦人西川文子君の談話だというこの新聞記事も、恐らくは、例の黄色新聞記者のいい加減な捏造に過ぎないのであろう。保子だって、君のことは、相応に尊敬している。
 野枝さん。
 僕の乱行と無茶、この六カ月間ばかりの僕の生活の動機については、少なくとも君や神近は、明らかに理解していてくれる。本当を言うと、まずこの動機のことから詳しく書き始めなければ、僕のこの頃の行動については、何にも本当には理解することができないのであるが、いわゆる苦労人の先輩とか友人とかの冷笑するがごとく、今はまず、「自棄酒を呑んで女に狂っているのだ」として置いてもいい。苦労人なぞというものは、せいぜい、そのくらいのことを言っていればお役目は済むのだ。

         六

 だが、野枝さん。
 それはそうとして、保子のことに話を戻そう。要するに保子は、僕に対する愛と理解とを持ちつつ、また僕からの愛も感じつつ、時々にその愛や理解を掩いかくしてしまうあるものに襲われるのだ。そしてそのたびごとに、僕や君やまたは神近に対する、彼女の盲目と醜悪とを現すのだ。けれども、彼女のこの盲目と醜悪とが、彼女にとって、なぜ無理なのだろうか。
 野枝さん。
 僕は繰返して言う。彼女は、その亭主を、しかも二人の女に寝とられた女である。その亭主および二人の女に対する、彼女の嫉妬や恨みや、いやみや皮肉が、なぜ無理なのだろうか。それをしも、単に彼女の盲目とか醜悪とか言って、その亭主および二人の女は済ましていられることだろうか。
 彼女は、諸君と同じく、愛かしからずんば嫉妬かの、幾千年幾万年の習慣の中に育って来た女である。愛を奪われたと思う時の、その嫉妬に、何の不思議があろう。彼女は、諸君と同じく、男の腕にすがって生活する、幾千年幾万年の習慣の中に育って来て、しかもまだ、諸君のごとくにはそこから抜け出ることのできない女である。男を奪われたと思う時の、その絶望に、何の不思議があろう。しかも彼女には、本当に安心して頼るべき親戚もなく友人もなく、そして彼女自身は、いわゆる不治の病を抱いて、手荒らな仕事の何一つできないからだでいるのだ。
 それでもなお彼女は、そのあらん限りの力をもって、彼女自身を支えようとしているのだ。彼女自身を救おうとしているのだ。心の奥底に感じている僕の愛を確かめて、そして自分は何等かの職業によって自分自身の支柱を得ようとしているのだ。
 野枝さん。
 君は、先日の手紙によって、すなわち保子に対する君の心持を書いてよこした手紙の僕の返事によって、保子に対する僕の心理の告白によって、君はすっかり泣かされてしまったと言う。僕自身も保子の悲哀を見るたびに、またそのことを思うたびに、とても堪えられないほどの苦痛に攻められるのだ。本当に幾夜泣きあかしたか知れない。
 野枝さん。
 君は、どんなに僕が、保子に対して残酷であったかを知っているか。僕は、これほどまでに保子の心持を理解していたのに、そしてまた、彼女のいわゆる盲目や醜悪についての僕自身の十分な責任を感じていたのに、どうしても僕は、彼女に対して残酷な態度に出でなければならなかったのだ。彼女のいわゆる盲目や醜悪を見せつけられると、それの嫌悪に堪え得られないのと、および恐らくはその責任を感じることに堪え得られないのとで、いっさいを忘れて憤怒に捉えられてしまう。彼女のいわゆる盲目と醜悪とによって、僕自身までが、本当の盲目と醜悪とに陥っ
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