の色も大ぶ蒼白くはなっていたが、それでも元気で出て来た。
 差入室の一室でしばらくみんなで快談した。迎えられるものも迎えるものも大がいみな獄通だ。迎えられるものは盛んにその新知識をふりまく。迎えるものは急転直下した世間の出来事を語る。
「おい、抱月が死んで、須磨子がそのあとを追って自殺したのを知っているかい?」
 とたしか堺が二人に尋ねた。
「ああ知っているよ。実はそれについて面白いことがあるんだ。」
 荒畑が堺の言葉のまだ終らぬうちに、キャッキャと笑いながら言った。
 荒畑の細君が、何とかして少しでも世間の事情を知らせようと思って、さも親しい間柄のように書いて抱月の死を知らせたのだそうだ。
「ええ、先生にはずいぶん長い間学校でお世話になったもんですから。」
 荒畑はその手紙を見てやって来た教誨師にでたらめを言った。荒畑は抱月とはたった一度何かの会で会ったきりだった。勿論師弟関係もなんにもない。
「ついちゃ、お願いがあるんですが。」
 と荒畑はちょっと考えてから言った。
「そんな風ですから、別に近親というわけでもないんですが、一つ是非回向をして下さることはできないものでしょうか。」
 教誨師はまた何か厄介な「お願い」かと思ってちょっと顔を顰めていたが、その「お願い」の筋を聞いて、顔の皺を延ばした。そして今までは死んだ人の話をするのでもあり、ことさらに沈欝らしくしていた顔色が急ににこにこと光り出した。
「え、ようござんすとも、お安い御用です。」
 教誨師はこう言って、荒畑を教誨堂へ連れて行った。荒畑はこの教誨堂なるものを一度見たかったのだ。そして坊さんにお経でも読まして、その単調な生活を破る皮肉な興味をむさぼりたかったのだ。
「どうだい、それで坊さん、お経をあげてくれたのかい?」
 荒畑がお茶を一杯ぐっと飲み干している間に僕が尋ねた。
「うん、やってくれたともさ。しかも大いに殊勝とでも思ったんだろう。ずいぶん長いのをやってくれたよ。」
「それや、よかった。」
 とみんなは腹をかかえて笑った。
「で、こんな因縁から、お須磨が自殺した時にもすぐその教誨師がやって来て知らせてくれたんだ……。」

 まだ書けばいくらでもあるようだが、このくらいでよそう。書く方でも飽きた。読む方でももういい加減になった頃だろう。



底本:「大杉栄全集 第13巻」現代思潮社
   1965(昭和40)年1月31日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※「縄」と「繩」の混在は底本通りにしました。
入力:kompass
校正:小林繁雄
2001年11月8日公開
2005年11月29日修正
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