ていたほどの物騒な面構えなのにもかかわらず、危く監獄でこの犠牲になろうとしたことがあった。
 千葉でのある日、湯にはいっていると、そこへ見知らぬ男が一人不意に飛込んで来た。監獄の湯は、どこでもそうらしいが、大勢一緒にはいる大きいのと一人ずつ入れる小さいのとがある。僕等は、いつもはその大きいのに仲間だけが一緒にはいるか、あるいは何かの都合で小さいのに一人ずつ入れられた。その日は一つ一つ板で隔てて一列に並んでいる小さい方へ、みんなが別々に入れられた。ほかの囚人を一緒に入れる筈はないのに、とは思ったが、看守の間違いにしろ何にしろ、とにかくほかの囚人と接触するのは面白いと思って黙っていた。
 その男は僕がわざわざ隅に寄って前の方をあけてあるのに、「失敬」と言いながら僕の肩を叩いて、後ろへはいろうとした。妙な奴だとは思いながら僕は少し前へ出た。すると、いきなりその男は飛びこんで来て、後ろから僕を抱きかかえた。
 僕は飛びあがって、そいつの横面を一つうんと殴りとばして、そとへ出た。もう「出浴」の号令のかかる間近でもあったのだ。
 脱衣場では、同志の村木というまだ未丁年の男が一人、蒼い顔をして着物を着かけていた。
「どうした?」
 僕はまた例の脳貧血かと思って、そばへ寄って尋ねた。少し長く湯にはいっていると、僕等の仲間はよく、この脳貧血を起した。
「今、変な奴がはいって来てね、いきなり後ろから抱きかかえやがったもんだから、急いで逃げ出して来たんだ。」
 と村木がまだ驚いた顔つきのまま話していたところへ、他の仲間もみな出て来た。そして村木だけならまだしも、ピストル強盗までもやられたというんで、みんなで大笑いした。
 が、実際笑いごとじゃないんだ。
 女の脛の白きを見て[#「女の脛の白きを見て」は太字]
 この畜生同様の囚人の間にあって、僕自身は聖人か仙人かのようであったことは、前にちょっと言った。しかしそれも、僕が特別にえらい非常な修業を積んだ人間だからという、何の証拠にもならない。
 人はよく、牢にはいったら煙草が吸えないで困るだろうな、と言う。僕はずいぶんの煙草飲みだ。が、未だかつて、そのために牢で困ったことはない。はいるとすぐ、ほとんどその瞬間から、煙草のことなどはまるで忘れてしまう。初めてはいった東京監獄では、看守等が休憩所でやっているのをよく窓から見たが、まるい棒片のよう
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