三十五番か六番かという成績表を持って、今までの僕にはなかった陰欝な少年となって新発田へ帰った。

   七

 僕を佐渡へ旅行にやったりしてひそかに慰めてくれたらしい父は、僕がまた名古屋へ帰る前の晩に、初めて一晩ゆっくりと僕の将来を戒めた。母は何にも言わずに、大きな目に涙を一ぱい浮べて、そばで聞いていた。僕はそれで多少気をとり直して新発田を出た。
 が、東京に着くとフランス語のある中学校の、学習院と暁星中学校と成城学校との規則書を貰うことは忘れなかった。そして別に『東京遊学案内』という本をも買った。
 幼年学校を退校する決心ではもとよりなかった。もう自由を欲するなどというはっきりした気持ではなく、ただ何となく憂欝に襲われて仕方がなかったのだ。そしてぼんやりとそんなものを手に入れて、それを読むことによって軽い満足を感じていたのだ。

 学校に帰ってからも、しばらく、そんな憂欝な気が続いた。そして一人で、夜前庭のベンチに腰をかけて、しくしく泣いているようなこともしばしばあった。
 が、すぐにこんどは、兇暴な気持が襲うて来た。鞭のようなものを持っては、第四期生や新入の第五期生をおどして歩いた。下士官どもに反抗しだした。士官にも敬礼しなくなった。そして学科を休んでは、一日学校のあちこちをうろついていた。
 軍医は脳神経衰弱と診察した。そして二週間の休暇をくれた。

 学校の門を出た僕は、以前の僕と変らない、ただ少し何か物思いのありそうな、快活な少年だった。そしてその足ですぐ大阪へ行った。
 大阪には山田の伯父が旅団長をしていた。僕は毎日、弁当と地図とを持って、摂津、河内、和泉と、ところ定めず歩き廻った。どうかすると、剣を抜いて道に立てて、その倒れる方へ行ったりもした。
 そして、すっかりいい気持になって学校へ帰った。

 が、帰るとまた、すぐ病気が出た。兇暴の病気だ。気ちがいだ。
 その間に、何がもとだったのか、愛知県人と石川県人との間にごたごたが持ちあがった。石川県人は東京やその他の県の有力者に助けを求めた。
 その頃僕はいつも大きなナイフを持っていた。ある時はそれでそばへ寄って来ようとする軍曹をおどしつけた。みんなはそれを知っているので、敵の四、五名もそのナイフを研ぎだした。
 夕方僕は味方の四、五人と謀って、敵に結びついた東京の一番有力な何とかという男を、撃剣場の前へ呼び出した。彼は来るとすぐナイフを出した。味方の四、五名は後しざりした。僕がナイフを出そうかと思って、いったんポケットに手を入れたが、思い返して素手のまま向って行った。僕の研いだばかりのナイフを出せば、きっと彼を殺してしまうだろうと思ったのだ。
 僕はナイフを振り上げて来る彼の腕をつかまえて、彼を前に倒した。彼は倒れながら、下からめった打ちに僕を刺した。
 僕は全身が急に冷たくなったのと、左の手が動かなくなったのとで、格闘をやめて起ちあがった。彼も起きて来て、びっくりした顔をして目を見はった。そこへ八、九人の敵味方が来た。そしてみんな、びっくりした目を見はって僕を見つめた。僕はからだじゅう真赤に血に染って立っていたのだ。
「これから医務室へ行こう。」
 僕はそう言って先きに立って行った。医務室には年とった看護人が一人いた。みんなで僕を裸にして傷をあらためた。頭に一つ、左の肩に一つ、左の腕に一つ、都合三つだが、どれもこれも浅くはないようだった。
「どうだ君が内しょで療治はできないか。」
 僕は看護人に聞いた。
「とても駄目です。大変な傷です。」
 看護人はとんでもないことをというように顔をあげて答えた。
「それじゃ仕方がない。すぐ軍医を呼んでくれ。」
 僕はそこへ横になりながら言った。そして彼の名を呼んだ。
「仕方がない。二人でいっさいを負おう。」
 僕は彼のうなずくのを見て、そのまま眠ってしまった。

 二週間ばかりして、僕がようやく立ちあがるようになった時、父が来た。
 父は最近の僕の行状を聞いて、「そんなに不埓な奴は私の方で学校に置けません」と言って、即座に退校届を出して僕を連れて帰った。
 が、帰ってしばらくすると、「願の趣さし許さず、退校を命ず」という電報が来た。
 彼も同時に退校を命ぜられた。
 新発田にはもう雪が降り出した十一月の末だった。
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自叙伝(五)

   一

 父に連れて帰られた僕は、病気で面会謝絶ということにして、毎日つい近所の衛戍病院に通うほかは、もと僕の室にしていた離れの一室に引籠っていた。
 この面会謝絶ということは僕自身から言いだしたのだが、父と母とはそれをごく広い意味に採用してしまった。離れには八畳と六畳とあって、奥の方の八畳は父の室になっていたのに、父はまるでその室にはいって来なかった。母も僕の室に来ることはめったになかった。そして、女中どもは勿論妹どもや弟どもにまで堅く言いつけて、決して離れへはよこさなかった。
「兄さんは少し気が変なんだからね。決して離れへは行くんじゃないよ。」
 これはあとで聞いた話なんだが、母はみんなにそう言っていた。そして小さな妹どもや弟どもは、その恐いもの見たさに、よくそっと離れに通う縁側まで来ては、何かにあわててばたばたと逃げだして行った。
 ていのいい座敷牢にあったのだ。
 が、飯だけは母家の方へ行ってみんなと一緒に食った。みんなは黙ってじろじろ僕の顔を見ているし、僕も黙って食うだけ食って自分の室へ帰った。
 僕の頭の中にはもう、学校の士官のことも下士官のことも、学友の敵味方のことも何にもなかった。したがってまた、それに附随して起って来る兇暴な気持もちっとも残っていなかった。幼年学校の過去二年半ばかりの生活は、またその最近の気ちがいじみた半年ばかりの生活は、ただぼんやりと夢のように僕のうしろに立っているだけであった。そしてその夢がまだ幾分か僕を陰鬱にしていた。が、僕の前には、新しい自由な、広い世界がひらけて来たものだ。そして僕の頭は今後の方針ということについて充ち満ちていた。
 学校での僕のお得意は語学と国漢文と作文とだった。そして最近では、学課は大がいそっち除けにして、前にも言ったように当時流行のロマンティクな文学に耽っていた。そして僕はその作物や作者の自由と奔放とにひそかに憧れていたのだ。
「君等は軍人になって戦争に出たまえ。その時には僕は従軍記者になって行こう。そして戦地でまた会おう。」
 僕は軍人生活がいやになった時、よく学友等とそんな話をした。が、あながち新聞記者になろうというのではなく、ただぼんやりと文学をやろうと思っていたのだ。そして戦争でもあれば、従軍記者になって出かけて行って、「人の花散る景色面白や」というような筆をふるって見たいと思っていたのだ。
 僕はまず高等学校にはいって、それから大学を出ようと思った。そしてその前に、どこかの中学校の上級にはいって、その資格を得なければならないと思った。が、それには、もう英語をほとんど忘れてしまった僕は、どこかフランス語をやる中学校を選ばなければならなかった。そしてその中学校は学習院と暁星中学校と成城学校との三つしかないことを知っていた。
 僕はその夏東京で買った『遊学案内』をひろげて見た。そしてそれの中学校の上級にはいるためのいろんな予備学校のあることが分った。中学校の五年の試験を受けるには僕の学力はまだ少し足りなかった。で、僕はまずすぐに上京して、どこかの予備学校にはいって、そして四月の新学年にどこか都合のいい中学校の試験を受けようと思った。
 うちへ帰って二、三日の間に、これだけのことはすっかりきまった。あとはもう、時機を見て、それを父に話すだけのことだ。
 僕はその時機がただちに来るだろうことも、また父がきっとそれを承知するだろうことも、楽観して、黙ってその時の来るのを待っていた。そして終日、離れの一室に籠って、近い将来の東京での自由な生活を夢みながら、自分の好ききらいには構わずに、一人で一生懸命いろんな学課の勉強をしていた。

 が、その間にも、このごく平静な気持を乱すたった一つのことがあった。それは、母家の方がいつもよりはよほど客の出はいりが多くて、そして妙ににぎやかにざわついていることだった。母は、できるだけ僕の気にさわらないように自分にもまたみんなにも勤めさせて、僕にはごくやさしくしてくれながらもできるだけ口数は少なくしているくらいだのに、その顔には憂いの暗い色よりもむしろ喜びの明るい色の方が勝っていた。そしてそのお客とはしゃぎ騒ぐ声がよく離れにまで聞えた。僕はうちに何かあるんだなと思った。そして、ふと、ある日、母とお客との話の間に「礼ちゃん」という言葉を聞きとめた。
「礼ちゃんがうちからどこかへお嫁へ行くんじゃあるまいか。」
 僕はすぐそう直覚した。そういえば、いろいろ思いあたることもある。汽車で柏崎を通過した時、見覚えのある丈の高い頬から顎に長い鬚をのばした礼ちゃんのお父さんが軍服姿で立っていた。
「どうした。一緒に連れて来なかったのか。」
「うん。ちょっと都合があるんで、少しのばして、親子一緒にやることにした。」
 父と礼ちゃんのお父さんとの間にそんな会話が交わされた。僕は何のこととも分らない、この親子一緒というのにちょっと心を動かされながら、父の大きな黒いマントで白い病衣のからだを包んで、黙って礼ちゃんのお父さんを盗み見していた。名古屋からどこへも寄らずに、こうして汽車の中を父と二人で黙って通して来た僕には、この会話が多少気になりながらも、発車したあとでそれを父に問いただすことはできなかった。
 それから、いよいようちに着いた時にも、やはりそれと関係のあるらしいあることがあった。
「おや、一緒に連れて来なかったんですか。」
 僕等の俥が玄関に着いた時、あわてて出て来た母が、父と僕とを見てがっかりしたような風で言った。僕のほかに父が誰を連れて来る筈だったのか、その時には、僕はこれと柏崎でのことを結びつけて考えることができなかった。
 しかし、もう事は明白になった。きっと近いうちに礼ちゃんがうちに来るのに違いない。そしてうちからどこかへお嫁に行くのに違いない。僕はそう思うと急に胸がどきどきして来るのを感じた。もう長い間まるで忘れてしまったように思いだしもしなかった、礼ちゃんのことが、わくわくと胸に浮んで来た。そして、どうしてもこれを確かめなければならないような気持になって、飯の時のほかめったに行くこともない母家の母の室へ行った。
 母はどこかの女のお客と話しながら、親子で女中していた二人の客に手伝わして、何だか知らないが綺麗な模様のある布団に綿を入れていた。そして「ほんとに綺麗な模様ですわね」とか、「こんないい布団で寝たらどんなにいい気持でしょう」とかいうようなことをその女中達が言っていた。
「誰の布団?」
 僕がはいって行ったことにはまるで無関心のような顔つきをしているみんなの中へ、僕は誰にともなくこう問いかけた。みんなが異常な親しみをもってその話題にしているこの布団が、誰のために、何のために造られているのか、実際僕にはちっとも見当がつかなかった。
「お前、千田さんの礼ちゃんを知っているね。こんどあの子がお嫁に行くの。そしてこのお布団はね、その時礼ちゃんが持って行くの。あしたはきっと礼ちゃんがお母さんと一緒にうちへ来るでしょう。」
 母のこの返事は一ぺんに僕の顔を真赤にしてしまった。僕はその赤い顔を人に見られないうちにと思って、急いで自分の室へ逃げて帰った。そして室へはいるとすぐ、机の上に両肱を立ててしっかりと頭を押えて、今見て来た布団のはでな色を遠のけようと思って目を閉じていたが、その目からはいつの間にかあつい涙がぽたりぽたりと落ちていた。
「人の恋人をうちで世話してよそへやるのもひどいが、人の目の前でその結婚の時の布団を縫って見せるなんて実にひどい。」
 ついさっきまではもう二、三年も思いだしもしなかった、ほんの幼な友達のことを、こうして僕はまるで自分の恋人のように考えだしたのだ。そ
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