あるまい。さればこの幼弟幼妹等を真の子として楽しんで育て上げて行こうじゃないか。足下には急に大勢の子持になってずいぶんと骨も折れようが、何分よろしく頼む。
本月は面会にも来れまいが、来月は松枝でも連れていろいろの報告をもたらして来てくれ。その時、左の本持参を乞う。
仏文。経済学序論。宗教と哲学。
英文。イリー著、経済学概論。モルガン著、古代史。個人の進歩と社会の進歩。ロシア史。
*
堀保子宛・明治四十三年一月二十五日
せっかく来たものを、しかもあんな用なのを、会わしてもよさそうなものをと思うけれど、お上のなさることは致し方がない。代りに臨時発信を願って今日この手紙を書く。
あの時まだ着かないという委任状はその後どうなったろう。あれはこういう訳なのだ。先月の二十七日であったか八日であったか、書信係の看守が来て、典獄宛でこういうものが来ているがどうするかと言う。見るとあの一葉の委任状だ。しかし封筒も何もないので、誰が何処から送って来たのか分らない。それを聞くと、それを調べるには、明日になれば発信はできぬかも知れぬと言う。仕方がない。いずれ送ったものは足下に違いない。ただ足下の居所が分らない。しかしすぐまた三保へ行くとも言っていたし、またあの字を見るといかにもよく僕のをまねてはいるが伸の書いたもののようだ。そこで三保へ宛てることとした。そして足下の名だけでは分るまいと思って、伸の名をも添えて置いた。別に間違いはなかったろうね。
家のことは、僕がいろいろな事情があるのだから是非会わしてくれと、少々理屈を言いかけたら、ついに僕の返事を聞かないで行ってしまったから、看守長は足下に何と言ったか知らんが、ともかく売ることにきめてあるのだし、それに委任状にも印を押して置いたから、いいように取りはからったことと思う。いい買手があったのか。
家が売れたとなれば、これで遺産の大体の処分はついた。これからは僕等が、六人の弟妹という重荷を負って行くこととなる。僕等[#「僕等」に傍点]と言ったが、実はすべてのことの衝に当るのは僕でなくして足下だ。したがって、実際に重荷を負うのは足下だ。僕は、もし霊とかいうものがあって亡き父がこれを見たら何と思うだろうかなどと考えて見た。しかし父のためではない、僕のためだ。僕は、足下がこの運命に甘んじていることと思う。
それは別問題として、
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