終出ているが。毎週一度くらいは胸に聴診器をあてて貰うが別に異状はないようだ。不思議なくらいだ。こんなにからだの具合のいい冬はもう十年余りも覚えがない。
もっとも、腸の方ではちょっと弱った。入監の翌朝からうまく毎朝一度通じがあるんだ。さすがにまだ夏の監獄の気が抜けずにいるんだと思って心丈夫に思って居たら、大晦日の晩から下り出して、とうとう本月の初めまで下痢で通した。ひどいんじゃない。毎日ほんの一回か二回かのごく軽い下痢なのだ。しかしちょうどこれと同じ下痢にかつて千葉で半年間いじめられたのだ。それがあと三、四年もたたったのだ。またかと初めの間は実に悲観したが、これもとうとう屈伸法で、かどうかは知らないが、とにかく征服してしまった。
この屈伸法のきかないのは霜やけ一つだ。ずいぶん注意して予防していたんだが、とうとうやられた。そして一月の末から左の方の小指と薬指とがくずれた。小指はもう治りかけているが、薬指は出るまでに治りきるかどうか。この創が寒さに痛むのはちょうどやけどのあの痛みと同じだ。一日のうちのふところ手をして本を読んでいる間と寝床にはいっている間とのほかは、絶えずピリピリだ。
天気のせいもあったが、この霜やけのお蔭で、本月はまだ一度も運動にそとへ出ない。菜の畑のまわりの一丁ほどの間をまわるんだが、僕は毎日それを駆けっこでやった。初めは五分くらいで弱ったが、終いには二十分くらいは続いた。それ以上は眼がまわって来るので止した。朝早くこの運動に出て、一面に霜に蔽われながらなお青々と生長して行く、四、五寸くらいの小さな菜に、僕は非常な親しみと励みとを感じていたのだが、もうきっとよほど大きくなったに違いない。この監獄でシムパシイを感じたのはこの菜一つだけだ。
そんな、あれやこれやでこの二月は大分苦しんだが、日にちのたつのは存外早かった。ちっとも待たずに日が経って来た。一月はずいぶん長かったが、そして社のことや家のことがいろいろと[#「いろいろと」は底本では「いろと」]思出されて出ることばかり考えられたが、そして汽車の音や何かが気になって仕方がなかったが、二月になってからは、もう社や家がどうなっているのか、まるで見当がつかなくなった。そして娑婆っ気が抜けて監獄っ気ばかりになった。終日たべ物のことばかり考えて、三度三度の飯時を待つより外に、何の欲っ気もなくなった。毎夜二
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