ツで、ともかくも一とまず自由の身となりました。
入獄中、同志諸君より寄せられた、温かき同情と、深き慰藉と、強き激励とは、私どもの終生忘るべからざるところであります。
裁判は、たぶん本月中に右か左かの決定があることと思います。
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巣鴨から
*
堀保子宛・明治四十年六月十一日
一昨日と昨日と今日と、これで三たび筆をとる。その理由は、あまり起居のことを詳しく書いては、かえって宅で心配するからという、典獄様のありがたい思召しで、書いては書き直し、書いては書き直し、したからである。
二度目でもあるせいか、もう大ぶん獄中の生活に馴れて来た。日の暮れるのも、毎日のように短かくなるようだ。本月の末にでもなったら、まったく身体がアダプトしてしまうことと思う。心配するな。
朝起きてから夜寝るまで、仕事はただ読書に耽るにある。午前中はアナーキズムとイタリア語との研究をやる。アナーキズムは、クロポトキンの『相互扶助』と、ルクリュの『進化と革命とアナーキズムの理想』というのを読み終った。今はクラーウの『アナーキズムの目的とその実行方法』というのを読んでいる。イタリア語は、文法を三十五ページばかり読んだ。全部で四百ページ余あるのだから、まだ前途遼遠だ。午後は、ドウィッチェの『神愁鬼哭』と、早稲田の『日本古代史』とを読んでいる。
八日に「新兵事件」の判決文が来て、いささか驚かされた。他の諸君にははなはだお気の毒であるが、これも致し方がない。このことについては、何とも言うて来ないが、どうしたのだ。まだ知らないのか。助松君も重罪公判に移されたそうだけれど、まだ予審のことだからこのさきどうなるかわからぬ。よく操君を慰めるがいい。
お手紙は九日発のがきょう着いた。たしかこれが九通目だ。同志諸君からも、毎日平均二通は来る。秋水の『比較研究論』は不許になったようだ。
『青年』の原稿は熊谷に渡したか。早く出すように言え。雑誌の相談はどうなったか。
留守中の財政はどうか。山田から十五、六日頃に端書が来るだろう。お絹嬢にでも取りにやらせろ。仙台に行っている筈のことを忘れるな。
『社会新聞』と『大阪平民新聞』とは、もし送って来なければ前金を送れ。そして保存して置け。
山川の獄通から、しきりに桐の花がどうの、ジャガ芋の花がどうのと言って来るが、桐は入獄した時にすでに葉ばかり
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