少なくなった。そこへ突然検事が来て、今お前等の仲間の間にある大事件が起っているが知っているかというお尋ねだ。何か途方もない大きな事件が起きて、幸徳を始め大勢拘引されたということは薄々聞いていた。その知っただけのことを、またどうしてそれを知ったのか、監獄の取締上一応聞いて置きたいと言うのだ。うろん臭いのでいい加減に答えて置いた。
 すると数日経って、不意に、恐ろしく厳重な警戒の下に東京監獄へ送られた。そして検事局へ呼び出されて、こんどは本式に、いわゆる大逆事件との関係を取調べられた。
「この事件は四、五年前からの計画のものだ。お前等が知らんという筈はない。現にお前等もその計画に加わっていたということは、他の被告等の自白によっても明らかだ。」とくどくどと嚇かされたりすかされたりするのだが、何分何にも知らないことはやはり知らないと答えるより外はない。
 監獄では典獄を始めどの看守でも、しきりに、気の毒そうに同情してくれる。
「こんな事件にひっかかったんでは、とても助かりっこはない。本当に気の毒だな。」
 と明らさまに慰めてくれる看守すらある。みんなで僕等を大逆事件の共犯者扱いするのだ。
 最初はそれを少々可笑しく思っていたが、この同情が重なるに従ってだんだん不安になり出して来た。監獄の役人がこれほどまで思っているのだから、あるいは実際検事局で僕等をその共犯者にしてしまってあるのじゃあるまいか、と疑われ出して来た。まさかと打消しては見るが、どうしても打ち消し得ないあるものが看守等の顔色に見える。そうなったところで仕方がない、とあきらめても見るが、そうなったのかならぬのか明らかにならぬうちは、やはり不安になる。
 やがて堺は無事に満期出獄した。それでこの不安は大部分おさまった。しかしまだ役人等の僕に対する態度には少しも変りがない。僕自身ももう満期が近づいたのだから、出獄の準備をしなければならぬと思って、二カ月に一回ずつしか許されない手紙や面会の臨時を願い出ても、典獄や看守長はそんなことをしても無駄だと言わんばかりのことを言って、一向とり合ってくれない。ただ気の毒そうな顔色ばかり見せている。どうかすると僕一人があの中に入れられるのかな、と疑えば疑えないこともない。が、その後少しも検事の調べがないのだから、とまたそれを打消しても見る。
 その間に僕は大逆事件の被告等のほとんどみんなを見た。ちょうど僕の室は湯へ行く入口のすぐそばで、その入口から湯殿まで行く十数間のそと廊下をすぐ眼の前へ控えていた。で、すき[#「すき」に傍点]さえあれば窓からその廊下を注意していた。みんな深いあみ笠をかぶっているのだが、知っているものは風恰好でも知れるし、知らないものでもその警戒の特に厳重なのでそれと察しがつく。
 ある日幸徳の通るのを見た。
「おい秋水! 秋水!」
 と二、三度声をかけて見たが、そう大きな声を出す訳にも行かず(何という馬鹿な遠慮をしたものだろうと今では後悔している)、それに幸徳は少々つんぼなので、知らん顔をして行ってしまった。
 とうとう満期の日が来た。意外なのを喜ぶ看守等に送られて、東京監獄の門を出た。そとでは六、七人の仲間が待っていた。みんな手を握り合った。
 出獄して唖になる[#「出獄して唖になる」はゴシック体]
 僕は出た日一日は盛んに獄中のことなどのお饒舌をしたが、翌日からまるで唖のようになってほとんど口がきけない。二年余りの間ほとんど無言の行をしたせいか、出獄して不意に生活の変った刺激のせいか、とにかくもとからの吃りが急にひどくなって、吃りとも言えないほどひどい吃りになった。
 で、その後まる一カ月くらいはほとんど筆談で通した。うちにいるんでも、そとへ出掛けるんでも、ノートと鉛筆を離したことがない。
「耳は聞えるんですか。」
 とよく聞かれたが、勿論耳には何の障りもない。それでも知らない人は、僕がノートに何か書いて突き出すので、向うでも同じようにそのノートに返事を書いて寄越したりした。
 これは僕ばかりではない。その後不敬事件で一年ばかりはいった仲間の一人も、やはり吃りであったが、出た翌日からほとんど唖になってしまった。そしてやはり僕と同じように、一カ月ばかりの間筆談で暮していた。
 牢ばいりは止められない[#「牢ばいりは止められない」はゴシック体]
 また少々さもしい話になるが、出る少し前には、出たら何を食おう、かにを食おうの計画で夢中になる。しかし出て見ると、ほとんど何を食っても極まりなくうまい。
 まずあの白い飯だ。茶碗を取り上げると、その白い色が後光のように眼をさす。口に入れる。歯が、ちょうど羽布団の上へでも横になった時のように、気持よく柔らかいものの中にうまると同時に、強烈な甘い汁が舌のさきへほとばしるように注ぐ。この白い
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