であった。手があれるだけならまだしも下手をやると赤むけになる。埃が出る。かなり骨が折れる。それを昼の間十時間くらいやって、その上にまた夜業を二、三時間やらされる。初めの一日でうんざりしてしまった。
三度減食を食う[#「三度減食を食う」はゴシック体]
三日目か四日目のことだ。毎日のこの仕事に疲れ果てて、少しでも仕事の手を休めていると、うとうとと眠ってしまう。坐りながら幾度か眠っては覚め、眠っては覚めしているうちに、とうとう例の胡麻塩の昼飯後の三十分か一時間かの休憩時間に、いつの間にか居眠りのまま横に倒れてしまった。
「こら、起きろ!」
という声にびっくりして目を覚ますと、僕は自分のそばに畳んである布団の上に半身を横たえて寝ていた。
「横着な奴だ。はいる早々もう真っ昼間から寝たりなんぞしやがって、貴様は監獄の規則なんぞ何とも思ってないんだな。」
看守は、貴様のような壮士が何だという腹を見せて、威丈高になって怒鳴りつづけた。
しばらくして典獄室へ呼びつけられた。僕はみちみち、はなはだ意気地のないことだが馴れない仕事に疲れてつい、とありのままの弁解をするつもりで行った。ところが、典獄室にはいって一礼するかしないうちに、
「貴様は社会主義者だな。それで監獄の規則まで無視しようと言うんだろう。減食三日を仰せつける。以後獄則を犯して見ろ、減食ぐらいじゃないぞ。」
と恐ろしい勢いで怒鳴りつけられた。
「ええ、何でもどうぞ。」
と僕は、外国語学校の一学友の、海軍中将だとかいう親爺の、有名な気短か屋で怒鳴り屋だというのを思出しながら、(典獄はこの学友の親爺と言ってもいいくらいによく似ていた)そのせりふめいた怒鳴り方の可笑しさを噛み殺して答えた。
「何に!」
と典獄は椅子の上に上半身をのばして正面を切ったが、こちらが黙って笑顔をしているので、
「もういいから連れて帰れ。」
と、こんどは僕のうしろに不動の姿勢を取って突っ立っている看守に怒鳴りつけた。僕は幼年学校仕込みの「廻れ右」をわざと角々しくやって、典獄室を出た。これは幼年校時代の叱られる時のいつもの癖であったが、この時は皮肉でも何でもなく、思わずこの古い癖が出たのだった。
幼年学校時代の癖と言えば、もう一つ、妙な癖をやはりこの監獄で発見した。
これはその後よほど経ってからのことだが、やはり何か叱られて、看守長室
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