間もなく車は辷《すべ》っていったとき「これは?」と梶が右側のを訊ねると「これはまだジャパンの続きです」とヨハンは答えた。梶は車の迅《はや》さでその外観の大きさを想像することが出来なかったが、それはもう原語の日本にさえ一つもない立派なことだけは確かだった。彼はひそかに驚くというよりももう黙った。
「あそこはこの国の芸術家が一番行くところです」とまたヨハンは附け加えた。

 翌朝の彼の出発は早かった。通りに朝霧のような薄靄《うすもや》がこもっていた。滞在中梶はヨハンに支払うべき案内料を一度も質《ただ》さずにしまったが、五日間の料金は意外に少額ですんだ。彼は他に謝礼を出したいと思うのに、もう残りのハンガリヤ金は少く、財布をは叩《た》いてそれを出そうとすると、ヨハンは記念に日本へこの国の金銭を所持して帰って貰いたいと梶に頼んだ。
 飛行場まで送って来てくれたヨハンと別れるときは、梶はその別れが辛《つら》かった。廻り始めたプロペラの音を聞きながら、
「それでは――」
 と、差し出す梶の手をしっかり握って振り振り、ヨハンも「さようなら、さようなら」と繰り返した。
 ああ、何んと沢山な御馳走が出たも
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