仕方だったんですが、しかし、心はやはり、日本人の呼吸だったということが、少しばかり分りかけて来ましたね。」
 千鶴子は黙って伏眼になった。矢代はいつの間にか日本にいるときより、婦人と話す自分の会話の内容まで、知らず識らずに質も違って来るのを感じた。これでもしこの話をヨーロッパ人にこのまま話しても通じるものではなく、そうかと云って、まだヨーロッパを見ない日本人に話しても、同様に話の内容は通じないであろうと残念だった。
「千鶴子さんは、日本人がどんなに見えましたか。今日は?」
 千鶴子は云い難そうに一寸考える風であったが、唇にかすかに皮肉な影を泛べると、
「西洋人が綺麗に見えて困りましたわ。」と低く答えた。
「男が?」
「ええ。」
「ははははは。」と矢代は思わず笑った。
「僕もそうですよ。こちらの婦人が美しく見えて困りましたね。」
 とこう云いかけたが、ふとそれは黙ったまま、一日動き廻って見知らぬ面と向き合った今日の怪事の表現も、今こんなに悲しむべき姿をこの洞穴の中でとるより法はないのだと矢代は思い淋しくなった。
 日本人としては千鶴子は先ず誰が見ても一流の美しい婦人と云うべきであった。け
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