紅霧を流したような光りが大路小路にいろどり迷って満ちている。すると、丁度昼間案内されたユーゴスラビヤの皇帝が暗殺された坂の下まで来かかったとき、急に矢代の片足が硬直したまま動かなくなった。長く船旅をしたものに来る病気である。矢代は船中でこの病気の話を聞かされていたからいよいよ来たなと思ったが、足を動かそうにも痛さに痙攣《けいれん》がともなった。初めは矢代も足を揉み揉み歩いていたが、そのうちにもう一歩も歩くことが出来なくなった。そのまま辛抱していたのでは一行の快楽を妨げること夥しかった。そこで矢代は皆に理由を話して、一人先きに船まで帰ることにした。
「じゃ千鶴子さんも一緒で丁度いいでしょう。お大事に帰って下さい。」
と沖氏が云った。千鶴子も帰る道連れが出来たので案内人を煩わさず、すぐ矢代と自動車を拾って波止場へ命じた。
「お痛みになりまして?」
しばらく無言のままだった千鶴子は訊ねた。
「いや、じっとしてるとなんでもないですよ。そのくせ、少し動かすといけないんです。船の振動で神経がやられていますから、筋肉がきかなくなったんでしょう。」
明るい街から暗い港区へ這入ると埠頭はすぐだった
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