んで見えたと思うまに、また花に満ちた高原が両側につづいた。
 こんな綺麗なところなら今夜ホテルへ著いてから千鶴子へ約束の電報を打っても良いと矢代は思った。パリを出発するときチロルへ著く日と宿とを報らせておいたから、あるいは久慈だけでも今ごろ先に宿に著いているかも知れぬと思われたが、それでもまだ当分彼は久慈に逢いたいと思わなかった。
 パリにいるときさまざまな議論をしたことなど考えると、久慈への懐しさは日に倍して来て、彼はもう永らく一言も饒舌らぬ日本語をぶつぶつと久慈に向ってひとり呟くほどだったが、まだ言葉の分らぬこの一人旅行の楽しさは、今も何物にも換え難かった。
「こんな所へ来ないなんて、馬鹿だな君は、何んて馬鹿だ。」
 矢代は声に出してこんなに云ったりした。そして、窓枠に顎をつけ、山脈を蔽った氷河を見ていると、世界の空気が自分一人に尽く与えられたように感じられ、涙が溢れて来て幾度も眼を拭いた。何というか、それは生れて以来の時間の重みが一時に解き放され、羽搏き上った放楽のような夢に似ていた。
 彼は窓から乗り出すようにして繰り現れる景色の一点も見逃すまいとした。色とりどりの花の波が高く
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