食べたいわ。ね、アルサス料理になさらない?」
 と千鶴子はいつもとは違い感覚の行きわたった軽快な微笑で矢代を誘った。
 樹間をぬけ日のよくあたる広場へ出ると、またそこには一面の山査子《さんざし》だった。初めは人に気附かせぬ花である。しかし、一度びはっと人を打つと、心をずるずる崩してしまわねばやまぬ花だった。
 矢代は千鶴子に近づく思いでまた酔うように山査子の花の下へ歩みよったが、これではいつドイツへ一人旅立つことが出来るのだろうかと、だんだん怪しくなって来るのだった。


 二週間毎にマルセーユへ著く郵船の船と、シベリアを廻って来た汽車から新しい日本人がパリへ現れた。ドームにいても矢代は日日古参になって行く自分を感じた。妻を日本に残して来ている日本人たちは、シベリアから来る妻の手紙のない週は誰も憂鬱そうにしていたが、手紙の来た日は暢暢と元気が良く一眼でそれと見当がついた。中には恋人から来る手紙に不安な箇所が現れたというので、一寸一ヵ月日本まで走って帰ってまた来るという青年もいた。そうかと思うと、日本にいる細君に宛て、愛人が出来たが心配をするななどと、わざわざ書いて出す剽軽なものもあった
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