見物の一角が賑やかな騒ぎになった。いつも物云うこともない静かな三島と云う機械技師が酒の酔いが出たものと見え、いきなり隣りの外人の婦人の肩を親しそうに叩きながら靴を脱げと云い出した。日ごろの音無しい三島を知っているものらは転げるように笑い出すと、また誰彼かまわず肩を叩き廻って靴を脱がそうとしたが、やがてそれも余興の一つとなると踊りは一層甲板で賑った。
「じゃ、わしも一つ、踊ろうか。」
 と、老人の沖氏は立ち上って、高と踊り終えたばかりの真紀子にまた申し込んだ。この船会社の重役は船客たちの中で一番年長者であり、自分で自ら、「私は不良老年で、」と人人に高言するほど濶達自由で豊かな知識を持った紳士であった。船中でのティパーティのときもよくこの老人は外人たちに巧みな英語で演説した。頭の鉢が大きく開き強い近眼の上に鼻がまた素晴らしく大きくて赤かったが、その奇怪な容貌のようにこのときの沖氏の踊りもひどく下手いというよりも初めから巧みに踊ろうとは考えてもいない踊りである。「あは、あは、」とただ笑いながら足踏みしているだけだ。真紀子も自然に笑い崩れてときどき立ち停り、あたりの踊りへ突きあたる。見ているも
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