、其父母、妻子、兄弟、姉妹、己が生命までも憎むに非ざれば、我弟子たること能わず。」
 こういうルカ十四ノ二十五、二十六、という異常な激しさに満ちた言葉の部分が出て来た。矢代はこのとき、我という一字はキリスト自身の意味ではなく、神という意味だと直覚した。この「我」をもしキリスト自身という意味に世の宗教家たちの云うごとく誤解すれば、地球上に悲劇を撒き散らして歩くようなものだと思った。しかし、その事実が西洋というものの今の苦痛で、やがて世界の苦痛に変ろうとしている部分であり、それは偽のない誤りの根元のような気がされた。
「ああ、これは世界中の大問題だ。」
 矢代はいきなり大きすぎる問題にぶち当った思いで、手放しのままこう歎息した。しかし、自分にとっては、それは今や身にさし迫って来ている、緊急必死の処理を要する危うさだった。そして、それはまた実際に、日本の中だけを想い見ても、この一寸の誤りのため、天正十年から寛永九年にかけての四十年間、幾万人の日本人が殺戮されて来たことだろう。しかも、なおそれがそのまま続いて平然と流れている形だった。
「我が好むは憫みなり、犠牲に非ず。」
 これほど深い思いや
前へ 次へ
全1170ページ中1022ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング