旅愁
横光利一

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)周章《あわ》て出した

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一見|榧《かや》の樹かと

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「骨+低のつくり」、第3水準1−94−21]
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 家を取り壊した庭の中に、白い花をつけた杏の樹がただ一本立っている。復活祭の近づいた春寒い風が河岸から吹く度びに枝枝が慄えつつ弁を落していく。パッシイからセーヌ河を登って来た蒸気船が、芽を吹き立てたプラターンの幹の間から物憂げな汽缶の音を響かせて来る。城砦のような厚い石の欄壁に肘をついて、さきから河の水面を見降ろしていた久慈は石の冷たさに手首に鳥肌が立って来た。
 下の水際の敷石の間から草が萌え出し、流れに揺れている細い杭の周囲にはコルクの栓が密集して浮いている。
「どうも、お待たせして失礼。」
 日本にいる叔父から手紙の命令でユダヤ人の貿易商を訪問して戻って来た矢代は、久慈の姿を見て近よって来ると云った。二人は
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