洗煉して、一羽ずつ空へ放っていく鳥飼いの役目をしている錬磨機のようなものであった。
「初めて観るの多いね。」
そういう塩野の周囲で、揺れうごく婦人たちの香料の匂いがした。久慈は、眼前の古代が急に断ち切れたり、継がったりするのを覚えた。その匂いにまぎれ入り、彼は自然に千鶴子の後を逐うのだった。豊満な姿で、ふっくりと胴を張った赤絵の壺や鉢が、婚期に逼った娘の色艶に見えて、それを見立てる自分の眼も、母から出される娘の写真を、あれこれ眺める今日このごろの感興に似たものを感じた。柿渋、李朝の秋草、越州、黒高麗、天龍の青磁、など、殊に一際目立って華手な、女王の品位を放つ万暦の鉢があった。金魚に似た魚の乱舞している図柄で、見ていても胸のわくわくして来る美しさであった。すると、その横にまた一層秀韻を湛えたたけ高い、すっきりとした宋の梅瓶が一つあった。久慈はその前に立った。卵色の肌に黒褐色の優雅な線で描かれた牡丹の葉が、唐草模様に似たしなやかな軽快さで、高風あたりの塵を払うと云いたいその姿をひと目見たとき、久慈は、これは千鶴子に似ているなと思った。
「これはどうだ。百済観音だね。」
と、久慈は矢代の耳に口を近よせて云った。
「ふむ。」矢代もひと言頷いたまま、肩を彼と並べて眺めた。
女のことを考える暇があるなら、神さまのことを考えろと、そう書いて来た矢代の手紙に対する、密かな反撃のひと突きで、久慈は多少小気味良い皮肉を洩したつもりだったが、まだ矢代に通じさすには少し唐突だった。
「え、似てるだろう?」
「うむ。」矢代はおぼろな声を出した。
「雲が棚曳き降りて来るようだね。」
「何んだい、それや?」
「平行線の交るところさ。」
幾らかぼっと赧らみのぼった矢代の顔を見て、久慈は、手応えとは反対に、一種ひやりと薄冷たい悲しみのさし通るのを感じた。彼は先へ歩を移し、後は馳け降りる勢いで室内を見てから、一隅に露出された南京染付の水鉢に片肱をかけて休んだ。
「新秩序と題しまして、東野速雄氏の講演でございます。」
とラジオが階下から聞えて来た。
「いよいよ世の中はめまぐるしくなって来ました。日日の生活が、ある一つの目的に向って締め上って来ているようであります。しかし、生活というものには、いつの時でも幾らか適度の憂いがなければ、その国民を健全に導くことが出来ません。これから私のいたします講演は、その皆さんの、憂いについてであります。」
階段の折目に並んだ殷の鋳銅の間で、東野の声がぴんぴんと響いた。
「人はそれぞれ憂いを持って生きております。善人なおもて往生すとか、貧しきものは幸なりとか、色即是空とか、あるいはまた、われ徳を好むこと、色を好むがごときものを見ざるなりとか、これらの有名な言葉は、人間の中のもっとも優れた天才たちが叫んだ、憂いであります。勿論、皆さんにも、必ず憂いがあるにちがいありません。」
久慈はその東野の講演がうるさかった。身にひえ込んで来る鉢の孤独な感触が、ざわざわと掻き立てられるようで、鉢から肱を放し、また宋の梅瓶の傍へ近よった。一同のものも、それぞれ自分の好む陶器の前に立ち停ったまま、静にしていた。久慈は講演をなるたけ聞くまいと努めた。しかし、東野の話の魅力は、断線を厭わぬ独断の危さにあるので、思わずひやひやさせられているうちに、いつの間にか前の独断を破壊する抜文が入れ替り、新しい力で人を乗せて動いて行くのである。聞くまいとしても、ちくちく刺されて人は聞かざるを得なかった。ときにはパスカルが出たかと思うと、天心が顔を出した。ロッシュフコウの格言が顕われたかと思うと、尊徳の歌が引っ張り出されたりした。その間を自在に縫いつづけて、秩序を形造る共通の確率をたぐってゆく労苦は、たしかに東野の憂いにちがいなかったが、料亭で空の美しさを語った彼の真の憂悶は、一向に顔を出しそうな気配もなかった。
久慈は講演に少少退屈した。そして、真紀子の態度にいつか注視しているのだった。万暦の大鉢の前で真紀子は伏眼のまま、長い瞼毛に心配そうな陰影を湛えて東野の講演を聴いていた。やや俯向き加減のなだらかな上体が、腹部のふくらみに集まり、うっすらと腰部の窪みを描いて両脚に下っていく真紀子の線を見ながら、久慈は、ふと自分を愛撫してくれた真紀子の情愛のふかさを思い出した。あの線、この色と、泛んで来るなやましい姿態の数数の閃めき、飛びうつる表情の流れが、今、ぴったりと金魚の乱れる大鉢の胴の前に静止している慎ましやかさ、――それも、みな東野への愛情に変っているのだ、自分のものだったそれらのもの皆が、いつの間にか東野にささげる供物になり変ろうとしている刹那だった。
「このように憂いの種類には、大小さまざまなものがあります。しかし、どのように云いましょうとも、最も小さな
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