言に、今度は東野の方が意外に正直な壊けを見せて、瞬間自分を取り鎮めようとする多忙な眼の光りで笑い出した。
「五十鈴川のこのお水へカンフル注射をするときは、実際僕も慎重に考えたよ。しかし、水というものは腐敗が速いからね、もし細菌をわかしちゃ、勿体ないし、そうかといって捨てちゃなお悪いし、そこで僕は科学的に考えたのさ。少しは自分の精神に苛責を加えてやらなくちゃ、素直な精神という奴は固定してしまう惧れがあるよ。要するに、急所を固定せしめないのが自分に対する戦闘だよ。」
早や先廻りしてそう云う東野の弁明のしなやかさを、矢代は黙って記憶にとどめ賛同もしなかったが、彼の苦しみの存するところもまた感じて、急所は固定しかけているなと思った。すると、東野は突然自分の膝を軽く打つと、「あ、そう君に云うの忘れていた。」とそう云って、傍にいる千鶴子の耳を憚ることでもあるのか、そのまま云い出さず、古万古の袱紗の口を締めていた。矢代は度重なる東野の今日の不意撃ちにまた何を云い出すのかと重苦しい感じだったが、やはり彼の動き出す言葉を待つのだった。
「先日ニュー・グランドで、君たち帰った後からの話だがね。いろいろと諸君のこともまた出たのさ。そのとき最後に久木男爵が、君に自分の会社へ来てくれる意志があるか、どうか。一度訊ねてみてくれと僕に云うのだ。僕は君の会社向きでないことを云って、一応反対したんだがね。男爵の方はまた、考えがあると見えて、それだから君に入社して貰いたいというんだね。それなら話は分るが、その代りに高給を出してくれるか東野大学出身だからと、つい僕は冗談を云ったのだよ。そしたところが、即座にそれは僕に任すというのだ。僕にだよ。面白いじゃないか。」
と東野は云ってにやにやしながら矢代の顔を窺った。
「それであなたは幾らくれるんですか。」
他の会社へならともかく、聞いたときから久木会社へは勤める気持ちのさらに動かぬ事情もあり、矢代は給料のことなども冗談のつもりでそんなに露骨に訊ねられた。
「それで僕は、じゃ、無給にしようと答えたのさ。本当の話だよ。どうかね。」
無茶な話とはいえ、考えればこれには含蓄ある展望も開けていた。しかし無給とあればともかく、考慮の外で断ることの出来ぬ人情の世界の相談になって来たと、矢代も難問に直面した思いになったが、どこまでが真面目な一点だかその朧ろなところが
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