熱の自然に対うもっともな意義ある研究点であった。飛鳥朝における支那朝鮮の建築そのままの直写時代から、奈良、平安前期に至るその消化時代をへて、宇治の平等院に示された平安後期の日本化の完成という順序は、これを短い時代の例としても、明治の初期から吹き流れて来た欧化主義の直写時代、大正の消化時代をへて、現在の日本化時代という、矢代らの呼吸している一期間に於てもそれは繰り返し行われて来た歴史である。またそれはただ単に建築の様相にとどまらず、精神の世界に於ても変りなかった。飛鳥朝から昭和の現代まで、およそどの短い時代の一断面を切り採って覗いてみても、そのうちのどれかに属した努力が払われ、それに苦しみ、産み繋いで来ているという経過の底にはまた、自然にそれをそのように導く別の力がなければならなかった。
「それだ、自分の知りたいと思うものは。」と矢代は思った。しかし、昨日今日の一日の彼の思いは、父の骨を中心にして、母、妹、叔父たちの巡り重なる中で、千鶴子を家へ引き入れる準備に費された心労だった。この千鶴子からは幾度となく逃げようと試みたり、放れる覚悟もしたりして来た筈だのに、ますます深まってゆくばかりの、意志も智慧も行いもすべて無力化させるもののあるのはこれは何んだろう。それにも拘らず一種異様な緊密した力が張りつつ、彼の心を捉えてどこかへ押し進めて行くもののあるのも、また認めねばならなかった。
夜中に雨が降ったと見えて水溜りに桜の弁が浮いていた。矢代は洩れ陽を透かし楓の薄紅い爪を見上げた。柿の芽も縒りをほごした膨らみ柔く、彼は朝の食慾を急に覚えたが、父の死の前後まで朝夕来ていた鶯が姿を見せなくなったこのごろの朝は、庭の木の葉脈まで父の血管に似て見えた。庭をひと廻りしているうちに、ふと父の植えた白い牡丹が葩を散らせているのを見ると、突然の痛さに彼は眼を早めて、繁みを潜っていった。裏木戸を開けて、竹林の間の冷えた路を通る間も、牡丹の崩れた葩の白さがなお追いかけて来て放れなかった。陽の光りの鋭く竹の節に射しこもった縞が、泳ぐように波の変化を示していく中で、彼は煙草に火を点け、朽葉を冠った筍の高まりを探しつつ歩いた。
矢代が竹林をぬけて広い道路へ出たとき、六十あまりの一徹そうな老人が、焚火をしている十七八の娘に道を訪ねていた。それに娘が何か答えると、老人は鰐足のままあたりを見廻した。
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